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何でもしていいよと言われた時にいつでも誰でもどこでもできること:(・_・)

以前予告した記事です。
ふおふお



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1.「旅する大樹と歩く砂漠」の宴会のシーンについて
 「旅する大樹と歩く砂漠」では、一方のPCたちが狩りに行っている間、他方のPCたちは宴会をしてて、そのあと狩りのシーンに戻るというカットバック的運用をされる個所があります。

 暇しているPLに出番をあげるため「一方そのころ彼らは...」と、場面を振るのはわりと常套手段なのですが、今時のシーン制だと

・シーンを切り替えるときの処理が超重たいシステムがある
 天羅系とか、エンゼルギアとか、ゆうやけこやけとか
・効果時間:シーンの特技とか効果はどう処理するのか不明

という辺りが実にめんどくさいなあ、という問題はさておき、このシーンで面白いと思うのは宴会の場面の方にいるPLの一人がGMに対して「なにをさせたいのさ~」と問いかけるところだと思います。

 シーン制的な運用をする場合、何かシーンを作ったら基本的に「シーンの目的」というものを考えると思うんですよ。普通は、考えておかないと進行がぐだぐだになるので。しかし、ここの場面では、「あえて」目的を明示せずにシーンを振ってるのが手法としてとても面白い。

 で、上記のような反応を見ると、りゅうたまのリプレイってGMとPLの相性が良いからうまく行ってる?という評判を聞くことが多いように思うんですが、実際にはそうでもないんじゃないかと。今時の普通なプレイヤーとプレイしているだけで、取り立ててすごい相性がいいというわけでもないかなあ、と感じます。

 他にもポーレは超空気読まないプレイしてて面白いなあとか、バルフェンはベテランぽくどこでも普通にプレイをこなしそうだし、メルは愛玩動物的プレイで別にほかのシステムのセッションでもよく見るタイプのプレイヤーだなあっていう。特にあのりゅうたまのセッションでないとうまく活躍できなさそうなのは、ティグレくらいなもので、あのキャラが立ってるのはシステムとかメンツの相性があるなあって思うんですけど、ほかのメンツはわりとどこにでもいるような普通のPL/PCの1類型で、なので基本的に「普通に他のTRPGも経験してきたプレイヤーがたまたまあのセッションに集ってプレイしている。特に相性が良いとかそういう感じはあまりしない。むしろ上手い人もいるなあっていう感じ?」という感じでしょうか。ああ、忍者を忘れてましたな(笑)。

 でまあ、そういう前提を踏まえてみると「なにをさせたいのさ~」っていう問いかけは、普通シーンと言ったら何か目的があってシーンを振るシーン制的シーン管理に慣れた人間の問いかけの仕方だなあって思うわけです。そこで何らかの不安を感じて?問いかけをしたくなるのはよくわかる(笑)。まあ、一応GMの意図を半分くらい読んで、別の意味で問いかけをしている、というのもあるかなあとは思うんですけど。

 でまあ、結論として、あのシーンにはGMから明示された目的がない。ということは暗黙的に「何をしてもいいよ」という意図でシーンを振られていることになると思うわけです。

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2.「何をしてもいいよ」と振られた時にできること
 で、いつもいつも目の前にニンジンをぶら下げられて目的を明示されないと動けない人の場合、そういうシーンの振られ方をすると何もできずに硬直してしまうことがあって、実際そうなりかかってたのかも知れんなあと思うんですけど、そこは周りが実にうまくフォローしています。バルフェンが料理をはじめ、メルは周りのメンツと一緒に宴会で踊り始める。

 ここを見てわかるのは

<1>何をしてもいいよと振られた時にできること~その1~
 キャラクターの日常の描写をする

ということです。キャラクターというのは連続的にいつでもどこかで生きているものですので(回想で生前の場面をやったり、死後の場面をやったりすれば別ですが)、どこかで何とか生きていて何かしているわけです。ただぼーっとしているだけかもしれませんが、それでもいい。それでもキャラクターの味は出る。

 でまあ、そんな日常描写をして何か面白いのかって言えば、僕は面白いと思います。まず、懸念として

・人から見て面白いのか?

というところがあると思うんですけど、自分にとっての日常は、人にとっての日常ではないので、観点が違っていて、それだけで面白い。そいつはそんな奴だってわかるだけでも面白い。そんなに爆発的な面白さではないですが、じわっと楽しい。
 次に

・自分でプレイしてて面白いのか?

という点について。キャラプレイの観点から言えば「自己表現の機会が得られた」というわけでそれだけで楽しいと思うんですけど、どうでしょう。

 日常表現というのは話の「緩急」という観点で言うと基本的に「緩」の表現だと思います。そんな、爆発的な面白さは必要なくて、ほっとするような、心が和むような(荒んだキャラだとまた別ですが(笑))、共感を呼べるような生活感のある身近に感じられるような面白みこそ求められていて、奇をてらった奇抜で過激な表現を必ずしも求められているわけではない。

 そんな時にPCの日常表現をプレイしてもらうというのはなかなか効果的な演出方法だと思います。

 で、リプレイの解説の方に戻りますが、件のPLがそれを受けて同リアクションをしてきたかというと、

・くだをまきはじめた(笑)

というリアクションを始めています。「くだをまく」と言うとちょっとマイナスイメージがあるかなと思うので言いかえると

・自分語りを始めた

ということになりますか。

<2>何をしてもいいよと振られた時にできること~その2~
 自分語りをする

 日常描写よりももう少しアクティブに自己表現をしだした感じでしょうか。でまあ、自分語りをするなんて面白いのかどうかと言えば、すでに上に書いた理由で面白いですしTRPGはコミュニケーションの遊びですので、

・コミュニケーションするには自分が情報発信することが必要

というわけで、自分語りをするなんてのはまさに情報発信なわけで、実に面白いと思います。情報発信してるだけで何も反応がなかったらそれはそれで寒いんですが^^;、そこら辺はバルフェンがきちんと拾ってリアクションしてます。とても上手いプレイだと思います。

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3.対話の場面
 「旅する大樹と歩く砂漠」の2つ目の話でメルと忍者がやってます。

<3>何をしてもいいよと振られた時にできること~その3~
 PC同士、仲間同士の対話の場面

まあこれは「いつでも」ではないですけどね。PCのモチベーションがある程度上がっていて、かつ、もっと覚悟を決めたいときなんかに。

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4.まとめ
 というわけで、「何をしてもいいよと言われた時にいつでもどこでもだれでもできること」という問いの結論としては

<1>何をしてもいいよと振られた時にできること~その1~
 キャラクターの日常の描写をする

<2>何をしてもいいよと振られた時にできること~その2~
 自分語りをする

<3>何をしてもいいよと振られた時にできること~その3~
 PC同士、仲間同士の対話の場面

の3点が少なくとも挙げられると思います。まあ、これを1セッションの中で何度も何度もやられるとくどくなってアレですが、1セッション中に各人が1回くらいはやってもいいんじゃないかと思います。システムで予約シーンとして標準化してもいいかも知れんと思うんですがどうだか。



そんなところで
by namizusi | 2009-03-04 21:44 | TRPG


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