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マスターシーンとプレイヤーシーン
 「マスターシーン」というテクニックがある。これはPCが存在しない場面を物語演出としてわかりやすく見せるために、マスターが基本的に一人で演出して自己完結するシーンのことである。まあ、

TRPGのセッション=「(GMの)物語を映画的に見せるものである」

と考えるならありだとは思えるのだが、どうもたかがド素人のTRPGゲーマーの作った「物語」とやらが鑑賞に堪えられるとはとても思えんので、正直こういうナルシスティックな自己満足シーンが気持ち悪くて仕方がない。あくまで僕の趣味だが。

 で、GMが自己満足の見せびらかしをするのをOKにするのであれば、PLもPL主導でそういう自己満足見せびらかしをOKにすればバランスが取れて何とか僕の感性でも「耐えられる」ようになるかなと思って考えたのが「プレイヤーシーン」である。正直、純粋にPLの要望を入れてやりたいことを好きなようにやらせるシーンというものに関するルールというのが「シーン制」とか偉そうなことを言ってる割に存在しない。僕のバランス感覚からすると欠陥としか思えないのだが・・・まあよいw

 ということで「プレイヤーシーン」のルールを考えた。

・プレイヤーシーンは1シナリオに1回各プレイヤーが要請できる
・シーンの内容はプレイヤーが自分で考える。マスターはそのルール的サポートのみを行う。
・その内容がどうであろうとも、内容にケチをつけてはいけない。ケチをつけた人がいたら即刻その人物はセッションから退場させること
・プレイヤーシーンは制限時間を設ける。オーバーしたら途中でも切る。
・プレイヤーシーンのインタフェースをマスターはシナリオ上の都合で明確にする。もしくは、戻り値をvoidにして

「プレイヤーシーンの内容はセッションの進行に影響を与えない」

と明文化する。

こんな感じ。まあ「オブジェクト指向シナリオ」の話でPL独立シーンをPL主導ですでにカプセル化してるなら要らんと思うのだけど。

 マスターから特定PL/PCが好きにできる(と言っている)シーンなりシナリオを作ることはあると思うのだが、それって結局GMの思惑が入り込んでPLが本来やりたかったことが歪んだり、まったく違ったものになっちゃうというのはよくあることで、そういうのから独立させようというのが「マスターシーン」だったと思うのだが、PLがPC表現をしようというときにも同様の独立性を高めた「プレイヤーシーン」のようなものが必要だと思うのだ。必要だ。僕のセッションでは絶対にw。

ではまた
by namizusi | 2004-12-24 12:41 | TRPG | Trackback(1)
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