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“物語的”をゲーム化することへの抵抗

 僕は昔からずっとTRPGでの“物語的演出”に属するようなこともゲーム的に管理すべきだと主張し、そういうのが目に見える形でパラメータ化されているシステムを積極的にプレイするようにしている(と考えてきた)。目に見えないパラメータ化されていない領域でそういうものをイメージしてプレイしようとしても、そんなものは簡単に踏みにじられる(特に昔の口先だけは回るウォーゲーマとか、なりきりプレイヤーなw)。ではパラメータ化されているシステムでそういったことをやろうとしても、やっぱり同じ抵抗がある。この場合は

・ルール破りをしている

ということを論理的に説明することで「相手が悪い」というのを証明できるだけで、やっぱり抵抗があることには変わりがない。

 どうしてそんな抵抗があるのかと言えば“物語的演出”の部分の表現というのは純粋なパラメータで扱える部分のほかにPLの感情に訴える部分が少なからずあり、それが判断を狂わせる。そういうのは

・PLとPCを分離しよう

といつも言われるのだが、実際出来てない人は多数いるし、分離しきれないからこそ演出としては良いのだというジレンマも存在する。それは、PLの側が指摘されることが多いが、むしろGMをしている人間こそ自覚がない場合が多い。

 例えば以下のようなことはちゃんとプレイできているだろうか?

1)NPCの能力に応じて愚かなNPCは敢えて忠実に愚かにプレイする
2)目的のためにはPC/NPCを殺すことは厭わない(悲しいとか感じる感情は横に置いておいてだ)。むしろ感情的に一番殺したくないキャラクターを殺した方が演出的には引き立つので必要があればそれを実行する
3)情報を知らず誤った行動をしているときには、敢えて誤解したまま最後までプレイし遂げる
4)設定を悪用して自分にとって悪い方向に誘導された場合も設定に正確に忠実にプレイし、敢えて悪い方向にはまる
5)ルール的にPCを助けるすべがなく、助ける動機もない場合は確実にPCに止めを刺す
by namizusi | 2004-12-28 12:46 | TRPG


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