深淵における「美しい物語」(私見)(3-1):(・_・)

 前の話の派生で出た3つの懸案の2番目「すり合わせ」について。

参考)
・深淵における「美しい物語」(私見)
 http://togetter.com/li/637551

・深淵における「すり合わせ」について
 http://togetter.com/li/658046

・コンテクストの共有とTRPG:(・_・)
 http://simizuna.exblog.jp/12833986/

・公倍数的セッション
 http://simizuna.exblog.jp/3925448/

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1.前提条件:「私見」とは
 この論は「私見」です。
 世の中には「私見」の意味が分からない方が、しばしば、よく、多数いらっしゃるようなので(まがお)、意味を記述しておきます。

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し‐けん【私見】
自分一人の意見。また、それを謙遜していう語。「―を述べる」
【岩波書店 広辞苑 第六版 DVD-ROM版】
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2.前提条件:「すり合わせ」の意味は人によって千差万別である(超偏見)
 「すり合わせ」という用語が最初TRPGで表明されたのがどこか不明ですが、テクニックとして定着させられたのはFEARげー(俗語)辺りと思われます(偏見)。

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→念のためググってみたところ、そうでもないどころか、昔自分が書いた記事が浮上してきて戦慄している(笑)。いちおう後の話は、この思い込みに基づいて進めようと思います。「すり合わせ」と言われて違和感を感じた根本を明らかにするために。
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 ただ、問題なのはFEARげー(俗語)で提示された用語というのは、状況によって意味が千差万別に変化するという特性があります。

例1)ハンドアウト
 PC作成が縛られるのが不自由だ! というような批判がくると、いつもセッション中に渡される紙ベースの情報なんかもハンドアウトなんすよ~とかいう、焦点ボカし回答がくる。

例2)ロールプレイ支援システム
 回答例:ロールプレイを支援するシステムといえば、ライフパスやなんかもロールプレイを支援してるわけで(以下略

例3)シーン制
 回答例:シーン、場面で管理するシステム・スタイルはAFFやTORGにもあった(以下略

 ……てな感じなので(あはは)、同様に、「すり合わせ」というFEARげ界隈っぽい用語が議論の場なんかで使われると、『その解釈は千差万別に変化するという事実を理解した上で発言しなくてはならないぜ!』(チャキーンと身構え)という反応をせざるを得ない。
 つまり、

『私は「すり合わせ」というのは、具体的に言うと***や***のような状況を指すと認識しているが、ところで「すり合わせ」がTRPGを遊ぶ上で必須と考えるのだが……』

という具合に発言しないと相手に意味が通じません。

 そこんところをよく理解もせずに、安直に「すり合わせ」とか言い始めると、個人的認識としては「こいつやべえ! 自分の用語定義が全世界共通普遍的に通じると信じてる狂人世界観が狭い方、ではなかろうか?」と感じずにはいられないわけです(失礼)(個人の感想です)。

※まー、ここで「超偏見」と明記しておいても、目が滑って読めない輩が多数いるだろうがな(あはは

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3.前提条件:「すり合わせ」のニュアンスの違いが極めて重要だ
 個人的に、FEARげ辺りで提示される「すり合わせ」と、深淵で提示される「すり合わせ?」は、全くニュアンスの違うものと考えます。であるならば、この違いを明確に言語化する必要がある。言語化するというのはつまり、言い換えを行うということです。対象物を表現するのに、適切なニュアンスを伝える言葉を選び出す必要がある。

 で、深淵における「すり合わせ?」に近い言葉としては「尊重」が近いかなあと、私は認識しています。
 FEARげ辺りで提示される「すり合わせ」は、「共感」という意味を含んでるかなと感じており、「尊重」と「共感」のニュアンスの違いがわからんとヤヴァイかと(何。

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4.前提条件:「ロールプレイ支援システム」における「すり合わせ」認識の変遷
 ここで言う「ロールプレイ支援システム」というのは、PLが演技等をして「それ良いね!」とチットを貰える系のシステムを指しています。具体的に言うと、天羅系、カオスフレア、番長学園等々でチットやポイントが貰えるシステムを指しています。
 「ロールプレイ支援システム」で、どんな時にチットを渡すか? という基準の変遷を理解することが重要と思うんですけれども、

初期)GMが良いねと思ったら渡す方式
 →GM基準が厳格すぎる・えこひいきしすぎる問題が発覚
中期)チットを公平にばらまけるように敷居を下げる
 →「良い」と思ってないのにチットをばらまくのは良いのか?
 →かえってプレッシャーを感じてしまう人もいる
後期)やっぱりGMや裁定者が良いねと思ったらチットを渡す
 →敷居を下げた上で、最低限の「良いね」を押さえつつチットを蒔く

 こんな感じっしょうか(ぼんやり)。「ロールプレイ支援システム」というのは「これがかっこいいね!」とかいう認識をすり合わさせるシステムです。上記のような変遷があって、結局、「かっこいい」という美的認識をすり合わせるシステムになっている。このような考え方がFEARげにおける「すり合わせ」の基準になってるとワシは考えます。
 たとえば、FEARげでは原則PvPが忌避されてきました。PvPというのはPC同士が対決し合うプレイスタイルです。これというのは、各PC同士が抱える美観(美の認識観)が対立し合うスタイルです。逆に言うと、美観を共有し合えるPCの組み合わせが推奨された。共有しがたいものは排除された。
 あるいは、FEARげでは悪徳プレイ(ノワール)が忌避されてきました。これは、悪・悪徳に属するPCの美観というのは、しばしば現実の倫理観を逸脱した尖ったになることがあるからです。これが避けられました。
 あるいは、悲劇。死。自己犠牲。葛藤。etc...
 つまり、一般的に共有しがたい美観をことごとく避けてきた。強く言うと、そういう尖った極端な美観を排除弾圧し続けてきた。
 それがFEARげで提示されてるところの「すり合わせ」のキモかと。(個人の感想です)
 なので、いろいろなシステムに広く知れ渡った「すり合わせ」、と言われた時点でFEARげ的な「すり合わせ」を指してるのかなあとイメージしたわけです。

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5.前提条件:最大公約数か公倍数か
 TRPGセッションにおける認識合わせについて、最大公約数を目指すのか、公倍数を狙うのかという方針の違いがあります。

 公約数というのは、結局最後は共闘する(PCの共通の敵=公約数)とか、ヒロイン・依頼主をPC/PLがみんな好きになるとか、君の「かっこいい」は、倫理観を逸脱することなく気安く共感できる! とかそんなのです。

 公倍数というのはPvPなんかでPC同士殺し合ってPC同士の美観は決定的に相入れなくても、PLレベルでは、俺が無様に敗れるのもそれはそれで美しいとかそんなのかと。
 で、

・FEARげの美観の「すり合わせ」→公約数的
・深淵の美観の「すり合わせ?」→公倍数的

と認識してるわけですわ。このニュアンスの違いが重要で、そこんところをわからず、広く知れ渡ってる「すり合わせ」とか言われると、


 何それ?


と反応せざるを得ない。

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6.私見:深淵で「すり合わせる」と言ったときに「美しい」という認識を合わせることは含まれていないと考える

 ……もし含まれてたら嫌だなあと。

 理由としては、深淵ではPCが、かなり尖った価値観のキャラクターであることがよくあるので、そもそも物理的に理解不可能な状況が頻発する。場合によっては嫌悪感すら感じる。
 それでも遊べるし、なんだか「美しい物語」にくるまれて、セッションが成立して妙な達成感があるのが深淵というシステムの特性かなあと(プレイした上での実感(あくまで個人の感触なので人によって効果は異なります))。

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7.美観が共有されるのは気持ちが良い
 私が「美しい」と感じるものが、他の参加者にも「美しい」と伝わるのはとても気持ちが良いものです。それはそれで楽しいのですが、逆に言うと、それを強要されると、他の人も「美しい」と感じられるような「美しさ」しかプレイできない、と窮屈に感じられる弊害もあります。
 「ロールプレイ支援システム」で顕著ですが、あれはうまく回ってるときはとても楽しいのですが、回ってないときは、とてもギスギスしたプレイになって辛いという側面があります。具体的に言うと、

・他のPL/GMにウケる演技をしなくてはならないのか?
・大して良いとも感じないのに、相手がかっこいいアピールをしてたら「良いね!(チット)」を投げなくてはならないのか?

 この辺のギスギス感については、最近ではFacebookで実名晒した上での「良いね!」祭りに近いものがあるかと思います(想像)。
 これについては、昔、

1)ブレカナでできることは、だいたい深淵でもできる
2)深淵でできることでブレカナでできないことがある

というような感想がネット上にあがってたことがあるんですけど、深淵では、

1')美観を参加者同士共感し合ったセッションも可能
2')美観を参加者同士共感し合ってないセッションも可能

と言い換えることもできるとワシは認識しています。で、深淵になじみの薄い、協調的なセッションをしてた人や初心者を取り込むために、1')のようなセッションができるよーと大々的に装って、2')のようなセッションのことは隠蔽する、ということがなされて、そのうち1')ばかりに慣れた結果2')なんてものは最初からなかったのだ、と言い始める人たちが現れるようになったのだ(妄想)。

※妄想です(笑)

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8.美観を共有しなくても良い、というのは自由である
 私が「美しい」と感じるものを、他の参加者に「美しい」と感じてもらう必要がない、というのはとても自由です。
 人が「美しい」と感じようがそうでなかろうが、俺が「美しい」と感じるからそうするのだ。
 それがとても自由に感じられる。

 ところがこういうことを言うと、どういうわけか「他人の迷惑も顧みず、自分の好き勝手やる」とか言い始めるバカ人間がよく現れて、これぞまさに風評被害だと思うのですが(脱線)。

・FEARげで推奨されてると思われる美観
 1)最初から他の参加者に共有可能な「美しさ」を追求する。
 2)「美しさ」の表現者が、一般受けしないものを最初から自粛する。(自主規制)

・深淵における美観
 1)とにかく自分が「美しい」と感じるものを自由に追求する。
 2)他人に迷惑をかけないようにするため、あるいは各個が追求する「美しさ」をより引き立てるために、ルールに則った手続きには従う

 ……という感じに、

・「最初からこれはダメだろうと自粛する」

のか

・「とりあえず好き勝手やってみて、その後、迷惑がかかりそうなところではルールに基づいて調整する」

というスタンスなのか、でプレイの感触が全く変わって、深淵では後者かなあと考えるわけです。

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9.経験:美観が全くすり合ってなくても「美しい」セッションはできる
 GMをする事が多いせいかもしれませんが、私が深淵をプレイしたときには、

・自分が「これが美しい!」と思ったものが共感されて気持ち良かった!

というセッションよりも(そういうセッションもありましたが)、

・「こんな奴どうやって合わせるんだろ? ーーあれなんか良い感じに『美しい物語』に収まっちゃったよ何だろこれ!?」

ていう経験の方が記憶に残っています。
 お互いの美観が保護されることで、参加者の価値観が相入れない状況でも、それぞれ満足できるセッションがプレイできてしまう。そこが深淵というシステムの、特性かと。

 昔話になりますが、某日本中央部山国でのコンベンション(仮に『Kコン』と呼びましょうか)で、深淵のマスターをしたことがあります。そのときに参加されたプレイヤーの一人(仮に『X』としましょう)が、セッション開始早々、別の、気の弱そうなPL(以下『Y』)を指さして、

「今日のセッション、おまえは絶対活躍することはないからな!」

とか言い始めたのです。個人的には『おひおひ(苦笑)』と思ったのですが、PC全員が主役となり得るTRPGで「おまえは活躍しない!」とか、何様だろうと。しかも、深淵では群像ものをやることが多いので、よけいに各PCが主役になりやすいのですけど。
 とはいえ、いちおう「活躍しない」にも多少根拠があって、Yは魔族教団がらみの人になったので、活躍するにしても悪役になりやすいかなあというのはあったのですが。

 で、プレイの結果としては、Yは教団がらみの人だったのですけど、他のPCの物語に共感を覚えて、最後の最後に教団を裏切って、そのPCを助けることを選び、自らは教団の裏切り者として無惨に殺される結末になりました。
 でも、Yは、とても満足した顔をしていた。

 それは、美しい物語になってたかもしれない。

 一方Xの方は、プレイ開始だけではなくその後のプレイでも傍若無人な振る舞いが目立って、そうするとPvPな環境では他のPLにハブられて、いざ本人が困ったときに誰も助けてくれないので、死ぬとか、悲運に見舞われることが多いのですが、そのときのプレイでは最初に渡した運命によって、味方が付いたら「記憶に残る」、誰も味方してくれなかったら「消滅する」という展開を考えてましたかね。
 結果は「消滅」でした。
 自業自得かなーとも思いましたが、それよりも、ここで重要と感じたのは、そうやって傍若無人な振る舞いをして、嫌われて、周りに見捨てられ、PCが消滅してしまったとしても、


 それはそれで美しい(かな?)


と感じられたところでしょうか。
 わざわざ人に嫌われるような傍若無人な振る舞いをするX当人に、何がどう美しく感じられていたのか、ワシには全くわかりませんが、しかし、外から見た様相としては、「美しい」という衣に包まれて、セッションとして、まとまったひとときとして、楽しく遊べたかなあと思うわけです。

 そんなようなことがありますので、実際遊んでみてどう感じられたか? というのはシステムを読み解く上で、極めて重要な手がかりと考えます。プレイガイド等で、こうすべき、こうした方がいいと書いてあっても、実際遊んでみると全然違う感触が得られることはよくあります。ルールブックに書かれてる記述を鵜呑みにしてると、そこんところで足を掬われることがよくあるので、いちおう記述ではこう書いてあるけど、実際遊んでみるとどうだろう、という検証をすることは、システム分析する上で極めて重要と思います。

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10.主張まとめ1
 背景になる情報が膨大なので、ちょっとここでまとめますが、ワシの主張はこんな感じです。

・ワシが言うところの「すり合わせすべきなんて記述はどこにもないよ」という話は「美しい物語を共感すべきなんて記述はどこにもないよ」という意味で言っている。

・実プレイ経験として、共感なんてしなくても深淵では楽しいセッションは遊べているし、むしろ共感しないことで自由に楽しめて、プレイが助かっている印象が深い

・それはそれとして「すり合わせ」という用語は定義が不定で、てんで当てにならない用語なので「尊重」とかに言い換えるのが妥当と考える

・美観を合わせる以外の「すり合わせ」の話は、深淵のルールの上手な扱い方の話と認識している

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11.すり合わせっぽい深淵のルール運用テクニックについて
 もしかするとこっちの話がそもそも「すり合わせ」として言及されてたのかもしれませんが、ワシの認識としては、こっちの話というのは「深淵のルールをいかに上手に扱うか」の話と認識しています。で、現状の深淵のルールブックではこの辺のガイドが不足してるかなーと思うので、三版で解説が増えると良いと思うんですけど。

1)「運命」に絡める、とは具体的にどういうことか?
 深淵のルールブック記述では、とにかくセッションでプレイされる展開を「運命」に絡めようという話が頻繁に出てきます。まるで「運命」に絡めさえすれば、面白くなる、美しい話になると考えてるかのようです。

 その通りと思います。

 「運命」を生かしたプレイとは何でしょう。ワシがプレイした経験としては、下記が必要と考えます。

(1)時間が必要
 「運命」を生かしてPLが納得するセッションをするには十分な時間が必要です。セッション序盤でいきなりPvPなんかに突入して殺されてしまったら、満足したセッションはできません。「運命」は生かせてません。

(2)「運命」をこなすのに必要な手続き
 次のような手続きが必要と考えます。

1:自分の「運命」とは何か、知ること
2:「運命」を踏まえて、とりあえずのPCの目的は何か、知ること
3:目的を達成しようとあれこれがんばって時間が経過する
4:当初の目的と、途中での体験を踏まえて、結局自分はどうしたいか決断する
5:結果を得る

 この一連の流れの中の1~4をこなすことが、深淵の「運命」を生かすために必要な手続きである、とワシは考えます。
 PCが、自分の運命が何なのか、何も知らない段階でいきなりPvPで殺されてしまったら、それで満足できるセッションができるでしょうか?

 ――できないと思います。

 自分のやるべきことが何なのか、知らない段階でいきなりPvPで殺されてしまったら、それで満足できるセッションができるでしょうか?

 ――できないと思います。

 目的を達成しようという課程で周りの状況がわかってきます。それを、まだ何も把握できてない知らない段階で、いきなりPvPで殺されてしまったら、それで満足できるセッションができるでしょうか?

 ――できないと思います。

 自分の運命を知り、当初の目的を知り、目的達成の課程で周りの状況を知り、最終的に自分がどうするか決断します。その結果、PvPで対決して殺されてしまったら、それで満足できるセッションができるでしょうか?

 ーーできると思います。

 自分が決断した結果だから、上手くいったとしても行かなかったとしても、覚悟した後ですので、どんな結果でも受け入れることができます。
 ――この境地に至るのが「運命」のルールを生かしたプレイをするには必要と考えます。そのためには、時間が必要だし、単純に時間・猶予があるだけでなく、必要な情報・課程が要ると考えます。それは「運命」を生かしたプレイをするにはどうすればよいか? というルールを使うテクニックとして語られるのが妥当であろうとワシは考えるわけです。

2)「縁故」を生かしたプレイ
 同様に「縁故」を生かしたプレイというものもあります。

(1)「縁故」適切に設定する
 上記の「運命」というのは、深淵では「縁故」に落とし込まれます。「縁故」がPCの「目的」になります。これを適切に、PLが考えるPCの思い入れに合わせて設定する必要があります。

(2)「縁故」を共有化することでお互いの運命の物語を活性化する
 「縁故」をより活用するテクニックとして、シナリオで出現するNPCを「縁故」にするとか、PC同士の「縁故」を共通のNPCにしてしまうとか、PC同士で「縁故」を結ぶとかします。そうすることでお互いの物語が効率よく引き立てられるようになります。

※これは、PC同士のインタフェースを合わせてるだけで、美観とは関係ない、というところが重要と考えます。例えば、

・PC1
 1人のNPCを愛してたり恋人と思ってたりする

・PC2
 上記の同一のNPCを、生け贄、ただの手駒、あるいは、おぞましい欲望の対象と考えている

……という美観がずれたままの状況が、深淵のセッションでは、平気で共存される。

※まあこれって、よくいうTRPGテクニックの「設定を拾う」そのものかと。深淵では「設定を拾う」というテクニックが「縁故」というルールによってシステム化されているので、このルールをどう上手く使えば良いかを考えることで、勝手に「設定を拾う」が実現されるようになっているわけです。



文字数が多すぎて蹴られたので、次回に続く(涙
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by namizusi | 2014-05-28 06:45 | 深淵


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