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「生首に聞いてみろ!」と演出

 去年の「このミス!」1位作品を読了。アイデア的にすごく良くて中盤までの展開も面白いのだが、後半がふつーのミステリっぽく普通に落ちちゃって、ごくふつーの本格ミステリとしてはよくできてるけどそれ以上ではない、可もなく不可もなく。という感想であった。ネタはいいので演出次第で面白くなったと思うんだけど。

 僕がミステリで何が好きかというと

「“真実”が明らかになることによって、それまで信じていた『現実感』跡形もなく破壊し尽くされるカタストロフィの感覚」

が好きで、だからメタ・ミステリなんか好きなのだが、今回の話はそういう展開に出来るいいネタを使ってるにもかかわらず演出に失敗していると思う。実に惜しい。

 TRPGでもよくある現象で、何か面白い心震わすようなネタと展開を思いついてシナリオを作っても、まず

・GMが演出力の無さからセッション遂行から逃げ出す

という現象が頻繁に発生し、そこで逃げずにGMががんばっても

・PLがネタをわかった上で、そういう痛々しいというか生々しい展開になって自分の人間性が生に引き出されることを怖がって演出から逃げようとする

という具合にPLが逃げ出し(笑)、結局、お茶を濁すために陳腐なありきたりでてきとーなエンディング(とりあえず戦って敵に勝ったからいいや、とかいう安直な展開)に落として終わることが多い。

 小説なら「作者さえ逃げなければ」十分な時間と熱意を費やせばそれは何がしかの者として完成させることが出来るが、TRPGの場合にはその困難な丘を乗り越えるのにGMだけの努力では足らず、PLの努力も必要になる。

 物語やTRPGのセッションには

・ここから先は、ただの気楽なちょっとした集まりを越えた何か暑苦しい(笑)、濃い領域に入るための「スイッチ」

というものが存在し、それを切り替えられるかどうかでセッションの成否が決まる。例えば、

・沈黙の演出

という話が停滞し、場が重苦しくなるけれどもPLの接触的な発言を促したいような、そういう効果を狙った演出というのがあって、賛否両論分かれるのだが、

今から、重苦しくもつらい話をしなければならない(演出のために)

というときには、それまで和やかでいい雰囲気だったのをあえて破壊してまったく違う雰囲気の「場」を作り出す必要がある。PLは戸惑って一瞬反発したりするが、その反発こそが場を切り替えて雰囲気を変える格好の演出となる。ぜひ利用しよう。

 因みにこういう空気の違いのことを能の世界では「ケガレ/ハレ」とか言うらしい。演劇とか能では最初から「ハレ」の状態でプレイすると思うのだが、TRPGではその切り替えはセッション中に発生する。

 GMは、その切り替えを十分に意識してもったいぶって演出を切り替えていく必要がある。


 んではまた
by namizusi | 2005-04-15 12:54 | TRPG


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