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FEARゲームの功罪分析(6):(・_・)

最終回とか言いましたが、あと2回くらいで終了見込み。
今回はプレイヤーインタフェースとしてのハンドアウト、ブレイクスルーについて。



1.ハンドアウト
 ハンドアウトはセッション開始前に、GM側から「こんな感じの雰囲気、進行に合うキャラを作ってくれ」という要望書を提示し、PLに作ってもらうためのものである。

メリット:
・PCの範囲をシナリオの微調整で対応できる程度に制限できる
・PLがPCを発想する助けとなる

デメリット:
・予想外のPCとシナリオの衝突による化学反応、という面白さが減退した。

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2.ブレイクスルー
メリット:
・ストーリの転換点をルール的に表現できるようになった
・PLが自発的に転換点を提示するアイデアの助けとなる

デメリット:
・GM自身もブレイクスルーを使用して対抗打消ししてしまうため、せっかくのアイデアがGMにお気に召さないときにはあっさりルールで破棄されてしまう(しかも、超法規的措置で却下することまでルール化されているため、実際のところブレイクスルーのゲーム的機能はほとんど形骸化している。馴れ合い状態。核ミサイル保持が実効性が疑わしいのと同様の現象と思われる)

・というわけで実効性としては「数々のPLの突飛なアイデアの中からGMのお気に召すアイデアだけを抽出する機能装置」となってしまっている。

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こんな感じ。懸案事項としては以下。

・PLの主張機会をルール化して明示したのは良い
・しかし、結局GMの気に入るかどうかが優先される
・PLの主張機会が明示されたため、逆説的に「それ以外のタイミング/観点での主張」を拾いにくくなった
・具体的に言うと
 ・シーンをPL側から提案する(シーンPLから逸脱する)
 ・ルールで表現できないPLのアイデア、(本来の意味での)ブレイクスルー

人から話を聞く手法として

・聞き手が質問して、相手から回答をもらう(GM主導的聞き方)
・相手に好きに話させて、相手の主張を否定せずに一通り聞く(PL主導的聞き方)

という2つの聞き方があるのですが、GM主導的聞き方しかルール化していないため、PLの枠から外れた自由な発想が拾いづらくなっているように思います。「GM主導的」というのは、前言及した「(広義の)吟遊詩人GM」と同義です。

で、GM側からPLの発言機会を与えるよう規定したため、慣れたPLは

・「GMからアクセスされるまで待とう」
・「アクセスの仕方がルールで決められているので、そのアクセスの仕方でアクセスしよう。その際、枠から外れるもやもやしたものが残るが、GMが対処しきれず大変だろうから、自分の胸にしまっておこう」

という感じの「受け身」なプレイが習慣付いてしまうという問題があると思います。

端的に言うと

「GMの考えたシナリオ、ストーリーにPCを参加させてやるぜ。
 参加できるインタフェースをたくさん用意してやるぜ。
 そこから参加しな!」

というスタンスですかね。こういうスタンスだとGM主観のフィルタリングされた都合の良い偏った情報は拾えますが、不定形なもやもやした欲求は拾い取れないものです。まあ、GMの時間は有限なので、そこまで拾えないのでしょうね(笑)。


という感じで今回はここまで。
次回は、FEARげーメソッドの「GM主導のセッション運営」と、その対立項となると思われる「PL主導のセッション運営」というのを例を上げつつ比較検討しようと思います。「PL主導のセッション運営」のキーワードとしては

「TRPGにおけるDI(Dependency Injection(依存性の注入))」

について(わけわからん(笑))。

んではまた
by namizusi | 2007-06-21 12:50 | TRPG


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