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りゅうたま分析(2):(・_・)

分析その2。
今回は戦闘時の「オブジェクト」ルールについての分析を。
地味なルールですが、スタイルの方向性の違いがはっきりわかる面白い事例なので。



手元にルールがないので記憶で書くと、

・戦闘時に使えるオブジェクトをGM&PLが1つずつ考え出すことができる
 (岩があるとか石が転がってるとか)

・オブジェクトをうまく戦闘アクションで使用すると+1修正が得られる
 (岩に隠れた!で防御に+1とか。使えるオブジェクト数に制限があると思うんですけど。バランス壊れるので)

というものです。
注目点としては

<1>演出による有利条件をルール的に加味すべきかどうか?
<2>「ルール処理」と「演出」をシステムコンセプトとしてどう考えているか?

という部分に引っかかると思います。
で、TRPGの歴史としては

・かつては演出による有利不利を認めていた
・しかし、一度認めると際限がなくなり、演出にばかり時間をかけて話が進まなくなる
・演出の限度にルール的制約をかけよう
・結局みんな演出して一律同じような有利条件を得る。ルール的な意味の消失
・じゃあ、演出は判定として無視しよう

という経緯でFEAR系のシステムではなくなりました。NOVA-Rの頃には演出のルールがあったそうですが、NOVA-RR以降はなくなったそうな。

で、有利な状況を得るためにいちいち演出するのは

・セッションの進行が遅れてぐだぐだする

という問題があって、良くないことだという認識が広まっていたように思いますが(誰かさんが布教したおかげで?)、その問題点て基本的に

・GM一人が困るだけ

なんですよね。PL的にはむしろキャラクターのイメージが演出によってアピール/感情移入強化できるわけで「GMの思惑通り迅速に進めるのが正しいセッションだ」と洗脳されてない限りはPL側にデメリットはないんですよ。

もうひとつ、別の観点から。

・最後にラスボスを叩きのめして勝つと決まってるセッションにゲーム性はあるのか?面白いのか?

という問題があって、僕の認識としては「過程が変わるから、そういう意味でゲーム性も面白みもある」という認識なんですけれども、上記のルールもまったく同じだと思うんですよ。

・最終的にルール的に同じ有利ポイントを得あられると決まってる判定処理にゲーム性はあるのか?面白いのか?

という問題だと思うんですけどこれもPLが独自のイメージ提示してGMに承認してもらうという過程がPLごとに変化します。過程が変化するので、ゲーム性も面白みもあるんですよw。

ただ、

・エンドが決まってる
・有利ポイントがもらえることが決まってる

の2つの事象の違いというのは

・エンドが決まってる
 →GMが、こういう話に落としたいと切望している
・有利ポイントがもらえることが決まってる
 →PLが、有利ポイントを得たいと切望している

という具合に、GM主体の要求を優先するか、PL主体の要求を優先するか、という違いがあります。
結局「GM主導」「PL主導」という2つの大きな方向性の問題になるかと。

でまあ、「りゅうたま」って全面的にGMの要求を必要最小限に縮小して(ブレスの使用回数制限とか、判定回数が多すぎるので小さな短いシナリオしかできないようにわざわざしているとか)PLがイマジネーションをぐだぐだと広げて自由に動けるよう配慮したシステムだと思うんです。

だから、そういう思想のシステムでは、むしろ戦闘で有利な条件を得るためにPL主導であれこれ演出イメージを繰り広げることが、セッションを豊かにし、面白くしてくれると考えているので、オブジェクト&オブジェクトで有利な状況を演出するルールを入れるのは実に理にかなった合理的な判断だと思います。

これを、既存システムの著しく偏った思想で、効率が悪いとか、良くないとか言うのは「視野狭窄」以外の何ものでもないかと。


まあ、世の中にはいろんな考え方があって、ある思想では正しいことでも別の思想では間違ったことになるというのは良くあることですわw。

そんなところで。気が向いたら次回に続く
by namizusi | 2008-03-19 12:54 | りゅうたま


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