外面的世界を感じるときと内面的世界を感じるとき:(・_・)

http://d.hatena.ne.jp/mallion/20080415/p1
http://www.river.sannet.ne.jp/rojin/kousatu_roleplay.html

この辺を見て。



とっても古臭い話だなあと。
いつになったら馬場理論のなりきり否定論から脱却できるんでしょうかねえ。
まあ、昔の論だから古臭いのはしょうがないかもですが。

個人的には、物語の界隈では

「世界=外界の何がしか」

という認識は、映画「普通の人々」で終焉したと思ってるんですよ。1980年のことです。

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=20104

人の心の内部にも外界と比肩するくらいの深く広い世界が広がっている。

で、TRPGの場合でも同じことだと思っており

>思うに、「自分の中からしか出てきていないキャラクター」は、あくまで自分の一部であって、それにバリエーションをつけようとするならば、「記号」など(たとえば「主人公」「ドジっ娘」「PC1」)を使って振幅させてやるしかない。

と書かれてますが、そんなことは全く無いんじゃないかと。

・外界との差異から最終的に、相違点を理解しつつ→共感点に共感する

というアプローチもありますが

・内面世界の共感から最終的に、自分自身が共感しない自分自身を発見し、そこからより深いところの欲求を見つける(昔言った魂的、とか)

というアプローチもあると思ってます。で、そういう深い内面世界をどうやって引き出すかについては、例えばPLが自分の内面から出るPCを創出したとしても

・PLにとってはありえないシチュエーション、葛藤にPCを置く

ということによって、PL自身が内から創造したにもかかわらず、内なる他者たるPCというものが引きずり出されてくることがあります。。
具体例を挙げると漫画「銃夢」8巻の

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(少女が「ザレムの天使」と呼ばれる絶対的な力を持った敵に
 頭に銃を突きつけられ絶体絶命!という場面で、
 のこのことカメラマンが飛び出してくる)

「ハロォ~~「ザレムの天使」さん~勝利者インタビューに答えてよ~」
「休日は何して過ごしてるのぉ~?」(あ…あれ…!?何やってんだ俺は……??)
「スリーサイズ教えてもらえるかなぁ~?」(バ…バカ隠れろ撃たれちまうぞッ!!)
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……という場面がそんな感じかなあと。(わからん人にはさっぱりわからなさそうだ(笑))
わしがTRPGをやってると、リアルPL的にそういう事態がよく発生するように思うので。

というか、わざわざ発生させているというか。


まあ、そもそもRQ系が外的世界を基準に作られたシステムだ~、というところがあって、そのシステム思想に沿ってプレイしてるとそういう思想に染まりやすい(それはそれで良いけれども)というのはさておき。


そんなとこで。
何か上の論を呼んでて違和感を感じたので自己解消してみましたぜ。
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by namizusi | 2008-04-15 01:47 | TRPG


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