TRPGの「楽しさ」を定量化してみる(2):(・_・)

http://simizuna.exblog.jp/9564496/
の続き。

前回は、TRPGの「楽しさ」を定量化することはきわめて困難であるが、「TRPGの「楽しさ」の必要条件」であれば定量化可能と推測され、協調戦略ゲーム理論的ゲームとしてのTRPGは「TRPGの「楽しさ」の必要条件」を互いに最大利益になるよう試行錯誤するゲームではなかろうか、という話を書いた。

今回は、比較的汎用的に定量的に量れる「TRPGの「楽しさ」の必要条件」の具体例を挙げてみる。

まあ、これが絶対正しいってわけじゃないが、大体のセッションで当てはまるんじゃないかなあ、という。



具体例1.「出番」の数量
TRPGのセッションというのは出番を取り合う協調戦略ゲーム理論的ゲームである、という観点。
とりあえず、TRPGがインタラクティブ性を必須にした遊びである以上、自分のPC/PLがセッション中に登場する「出番」がなければ楽しいも糞もない。
(地蔵PL的楽しさは除外する方向で)

ということで、「出番がある」というのはTRPGの楽しさの必要条件であると考える。

また、このゲームは「協調戦略ゲーム理論的ゲーム」なので

・自分の出番のために人を蹴落とす

というゼロサム的非協調戦略ゲームとは大きくスタンスが違っていて

・自分の出番を増やせるようプレイする。
 それだけでなく、相乗効果的に他プレイヤーの出番が増えることも考えてプレイする
 最終的に
 卓全体の出番の総和が最大化される=ゲーム的勝利
 と考えて、試行錯誤する

というところを考えるゲームになる。

ちなみに「数量」と言ってるのは、シーン制なセッションの場合にはシーンでセッションが細切れにされるので「出番の数≒出番の総量」という換算が可能だが、非シーン制の場合は出番の数よりも「時間的長さ」で計った方が出番の総量の換算として妥当なので、両方込みで「数量」と言っている蛇足。

あと、セッションの時間って固定なのに出番の総和の最大化って何じゃらほい,という懸念があるのだが

・セッション中の全部の時間が出番として機能しているわけではない
・アクティブな状態のキャラクターの掛け合いなどは、1つの出番を2人以上でシェアしている状態と考えて、人数倍に出番を換算する
・出番自体の密度の差とか

という観点を入れれば同じ時間のセッションでも「出番」の数量の多い少ないの差別化が出来るようになると思う。まあ、この辺の効率化は時間の制約が厳しいオンセだと結構顕著に出てくるように思いますな。

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具体例2.「ネタを拾われる」数量
まあ、とりあえずTRPGのセッションで何が楽しいかと言うと、GMないし他PLに自分のネタが拾われて面白おかしく盛り上がったときじゃないか?
ということで、ネタを拾われる回数とか密度も比較的定量的に扱える「楽しさ」の必要条件であると考える。偏ったPC/PLにネタばかり拾われすぎると、光の当たってない他の人のネタを拾おうという平等規範による補正も働きますし。

要するに

・TRPGのセッションって互いにネタを拾い合って拾い合い具合(及びそれによってもたらされる楽しさ)を最大化する事を目指す「協調戦略ゲーム理論的ゲーム」ではなかろうか?

というのが、この観点。実際わりと、セッションを楽しむために、ある程度プレイしているとわりと普通に互いにネタを拾い合って盛り上げようと意識してプレイするようになると思う。ごく基本的なプレイだと思うんだが、昔、某所で拾うというテクニックの話が出て、そんな基本的な話をせにゃならんって、それまでどんだけ荒んだプレイをしてたんだろう!?と文句を言ったのはこの辺の、こんなの基本中の基本だよね?という感覚に由来する。

まあ、現実には基本でもなんでもない環境もあるってことですかねえ。やれやれ。

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具体例3.「魅力的課題」の数量
 TRPGの遊び方の基本のひとつは、やはり「問題を解決する」というところにあって、問題解決するためにあれこれ工夫するのが楽しい。そういう楽しみを獲得するためには、それ相応の魅力的な課題が必要だ、ということで「魅力的課題」も、楽しさを得るための必要条件であると考えられると思う。(まあ、問題解決しないシナリオ・セッションは除外で)

 PC個別に課題・目標を決めて解決していくセッションの場合は誰がどれだけおいしい困難を獲得するかという争奪戦が発生するし、キャラクター相互の係わり合いで副次的にサブ課題が発生して解決をお互い補完しあったりする。そうやってお互いの「課題」を最大化し、乗り越える山を高く、面白くしていこうというセッションのイメージ。

 パーティー制の場合は、課題を分割して役割分担して個別に部分部分を解決していったりしますが、この「適材適所への課題分割」という行為自体が、魅力的課題のシェアと卓全体の楽しさの総和の最大化を目指す行為である、と見ることが出来ると思います。

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さて、実際こういうようなところにゲーム性を感じてプレイしているかどうかは謎だが、感覚的にすでにやってる気がする。

それは、セッションを盛り上げるための単なるテクニックではなくて、ゲーム理論的に分析すると立派に協調戦略ゲームとしてのゲーム性を持った遊びと言っていいんじゃないか。そしてゲームとして遊べるということは、そこに挑戦するに値するチャレンジが発生する。そこが面白い、と愚考する。


いじょ
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by namizusi | 2008-10-01 23:28 | TRPG


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