2006年 02月 06日 ( 2 )

TRPGにおける上達

 かなり長くなると思われるので章わけをば。
 TRPGにおける上達とか上級者というと、どうも尻込みしてはっきり書かない人が多いようなので、嫌われついでに僕の考えをはっきり書いておきましょうか。

1.“自称上級者”について
 2chとか見てるとどうも僕って“自称上級者”ってことになってるらしいですが、いや、自称したことなんて一度もないんですけど。まあ、毎回毎回自分でも「これは書いちゃだめだろ~、ひどすぎる^^;」ということまではっきり書いちゃってるので、それに対して文句を言われるのは至極納得するのですが、言ってもいないことを言われるのは非常に納得しがたいですな。

 根拠としては

マスタリングの7つの段階
ロールプレイの7つの段階

という辺の発言が根拠らしいです。どこにも「上級者」とかそんなこと書いてないんだけどね。

 で、実際のところロールプレイに関しては、PLに特定の行動を指定したがるGMとは致命的に合わないので、こんなことができても何の役にも立たないし、マスタリングに関しても、上記の記事というのは「セッションをいかにしてコントロールするか」という観点での到達の度合いを書いてるんだけど、前回の記事(「つらつらと」)に書いたように、僕は「セッションが自在にコントロールできてもつまらない」ってずーーーっと昔から思ってるわけで、だからやっぱりマスタリングの7つの段階なんてものができたところでそれでセッションが楽しくなるとは全然思っていない。

 で、そもそも磨いても楽しくならないような技量を高めても、そんなもの上級者とか上達といったものにいったいなんの役に立つのだろうか?何の役にも立たんでしょ。上級者とか上達といったものというのは、それによってよりセッションが楽しくなるような技術なんじゃないかな?だから、上に書いたようなこと(曲芸?)ができたところで到底上達したとか上級者になったとか言い難いと思うわけです。

 それとも何だろ。僕はそんなのできるようになってもちっとも嬉しくないと思ってるが、世間的にはセッションを自在にコントロールできるようになって、PCを自在に演じられるようになりたくてなりたくてしょうがないから、そういうのができるようになった人を「上級者」とか「上達した」とか呼びたいってことなのかな?まあ、ときどき「なりきりができる人が上手い人」とか見なされてる変なサークルとかあって見ててキモイなあと思うのですが、わりと世間一般的にはそういうキモイのがお好みってことなんですかね。

 というわけで、自分基準としては僕って上級者でもなんでもないし、なんか曲芸みたいなことがちょっとできるかもしれないけど、だから何?って思っています。世間的にどうなのかは知ったこっちゃありません。
(すげー頭悪そうな文章書いてるな(笑))

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2.よくあるやりとり
 プレイングやマスタリングの上手い下手とか言い出すとルーチンワークのように繰り返されるやり取りがあります(笑)。(わかりやすさのために誇張してます)

私:「***ができない人がいるんですけどどうしましょう?」
相手:「そんなことはない。できる人はできるし、あなたが思ってるよりずっとわかっている人はたくさんいる」
私:「いや、だって、あなたこのときにこうしなかったじゃん」
相手:「それはわかってたけどやらなかったんだ」
私:「わかってたのに何でやらなかったの?そうしたかったんでしょ?何で言わないの?」
別の人:「ああいえばこういう。プレイヤーを侮辱するとは何てことだ」
私:「実際そうだったから事実をありのままに言ってるだけなんだけど」
(以下、感情論に論旨が驀進)

まあ、こんな感じですね。こういうのは本論の趣旨から外れるのでやめてください。

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3.本題
 で、本題。参考記事は以下。

[考察]上級者の定義1「そもそも定義って」
「ロールプレイの向上」について

 まず上のサイトから。すっごい話が遠回りしていて、昔、話す時間が限られているのに「話し合いの仕方を始めましょう」と言って話し合いの仕方を話すだけで持ち時間を使いきり、結局本題については何も話ができず…という面白い交渉の仕方をしていたサークル団体実行委員みたいで見ててほほえましいのですが、まず、

・「上級者」というものが何者であるかじっくり話し合って見定めましょう

という観点はなるほど、そうだなあと思います。そうやって考えたり話し合ったりすることに何のメリットがあるのかというと、

・新しくTRPGをやろうと入ってきた人に“楽しさ”を伝えるためには、自分たちが“楽しさ”を知っていなくてはならない。そして“楽しさ”を得るにはそれぞれの方法論がある。方法論がある以上、その方法論について上手/下手と判定される基準が生まれる。そうして培った方法論によって「どうすればより楽しめるか」という手法が確立されるため、それによって新参者にも楽しさを伝えられるようになる

というメリットがあると思います。まあ、新参者がどんどん入ってくるようになって自分自身が「楽しさを伝える側になる」っていう状況は、TRPGをプレイしているのが社会人ばかりという状況を鑑みるに(ホントか?)微妙ではありますが…TRPGを遊んでいるのが学生ばかりでサークルに新陳代謝があるというある種健全(?)な環境では、そうやって「楽しさを得る方法を後進に伝える」というのはとても重要なことだったように思います(何年前だろ?)。

 で、上の論で足りないなと思うのは

「じゃあ具体的にあなたの環境では何ができるのが上手い(より楽しめる)と見なされるの?」

という観点でしょうか。後日続きがアップされるのかもしれませんが、現状はそういう話はありません。今のペースだとものすごーく先の気の長い話になりそうですけどね^^;。

 で、2件目の記事。疑問を提示するのはいいと思うんですけど

「じゃあ具体的にあなたの環境では何ができるのが上手い(より楽しめる)と見なされるの?それについてのあなた自身の意見はどうなの?」

というのがない。何かTRPGのセッションでよくいるんですが、人に「どうしたらいい?」と人に聞くばっかりで自分で考えようとしない人ってよくいますが、そんな感じですかねえ^^;。

 僕の感想をはっきり言うと

・TRPGを3年以上もやってるくらいなら、自分なりの基準と回答くらい考えておきましょうよ。

と思います。そもそも普遍的な回答なんてまったく必要じゃないと思うし、その日のセッションが楽しめれば十分なんですよ。それが、例えば、3年以上もTRPGをやっていてそういう基準が全然確立されていなくて人を楽しませるにはどうしたらいいかもわからないって今まで何してたんですか?と、聞きたい(実際のプレイ経験がどれくらいかは知りません)。まじめに。いや、実際書いてないだけで自分なりの基準は内に秘めてるのかもしれないですけどね。

 長くなったのでまとめますが

主張1:TRPGの上達を考えることは「人も楽しませる」上で有用であると考える
主張2:3年以上もやってるなら何を持って「上達した」と見なすかという自分なりの基準くらい持っておくべきと思う

こう、考えます。まだ考えてない人はぜひ考えて欲しいものです。

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4.紙魚砂的基準
 僕の基準というものを以下に例示します。これは僕が個人的に想定する極めてローカルな基準なのでこれがどこでも通用するなんて能天気なことは考えないように。

4-1.紙魚砂的基準「TRPGって何を楽しむ遊びなのか?」
 何が楽しいかというのを見出すには「TRPGって何を楽しむ遊びなのか?」という定義を決める必要があります。これについては諸説紛々ありますが、僕の基準はいたって単純です。

・TRPGとはコミュニケーションの遊びである

これだけです。
 ゲーム性とかグダグダ言いたがる人がよくいますが、ゲーム性なんてものはコミュニケーションの一手段としか思ってません。で、じゃあ何が楽しいのか?と言えば

・普通にコミュニケーションしていて、楽しいと感じることが楽しい。

こんだけ。
もうちょっとうがって、コミュニケーションしていて何が楽しいかと言えば

・自分が伝えたいことが相手に伝わることが楽しい
・自分が伝えたいことが相手に共感されると楽しい
・相手の伝えたいことが理解できると楽しい
・相手の伝えたいことに共感できると楽しい

ということになります。僕基準では普通の会話でのこういう楽しさとTRPGにおけるこういう楽しさと言うのはまったく同じものです。コミュニケーションする手段が日常会話とは異なるだけの話です。

4-2.紙魚砂的基準「何を持って“上手い”と見なすのか?」
 これも「TRPG≒コミュニケーション」と見なしているので、コミュニケーションの上手/下手と基準はまったく同じです。

・人が伝えたいことの意図をきちんと読み取って拾える人は上手い
・自分が伝えたいことをわかりやすく簡潔に伝えられる人は上手い

これだけですな。

 僕基準ではルール運用が上手くできるとかそういうのは「別にルールブックを見ればわかるでしょ。せいぜいどこを見れば何が書いてあるか概要を把握していれば十分」というくらいの扱いですかね。それよりも、意思疎通がきちんとできることの方が本質的に重要であると考えています。そして上手くなると楽しい!

4-3.凡例
 実際のTRPGのプレイテクニックで言うと

・「拾う」なんて基礎中の基礎だ。なんで去年言われるまで取り上げられなかったのかわっけわからん
・「口プロレス」程度のこともできないで「上手い」なんて到底言えない

というようなことになります。偏ってますな^^;。

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 何かこんなことを書いてると「ノリ重視のマスター?(=ルーリングはチャランポラン?)」と勘違いされそうですが、僕はルーリングについては、いたって厳密に適用する方です。コミュニケーションする上では使用するコミュニケーション手段(=ルール≒法律?)を正確に把握し、上手く扱うのは極めて重要なことと考えています。

以上、僕個人の基準はそんな感じです。


それでは
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by namizusi | 2006-02-06 16:14 | TRPG

つらつらと

 「◆「強すぎるNPCは目障りだから消えろ!(笑)」-2002/03/03
 「◆「しゃべりすぎるGMはPLの自由な発想を殺す」-2002/03/27

 昔書いた記事ですが、上に書いたような理由で僕はNPCで展開を制御するセッションが大嫌いです。
 まあ、時々思い出したようにNPCを使って誘導してみるとホントに楽になるんですけどね。それでも好きになれません。まあ、趣味の問題ではありますが。

 何が嫌ってこの技法を多用しているとGMの言うことに従っていればそれだけでうまく行くと刷り込まれて、ヘイコラ従って、自分で何とかしようとするということ自体を考えなくなるPLが増殖する点でしょうか。

 うーん、でも実際増殖していたのかどうか。

 何か根本的にそういうことを考えられない人っているようなので、そういうことを考えられない人も安心してプレイできる、ということで考えなしのPLが寄って来たのか、NPCの誘導によって甘やかされ続けてきたので思考力が養われなかったのか、その辺の差異はわかりません。どうなんだろう。

 例えばGMやNPCの誘導する展開に何も考えずに突っ込んでいくと100%全滅するシナリオをプレイしたとして(僕はそういうのをよく考えるのですが)、途中でこのまま突っ込むと全滅するよ、と予告するんですけど、それでも何も考えない人は嬉々として?突っ込んで行き、何の抵抗もひねりもなくサクサク全滅してくれるわけです。

 正直、馬鹿じゃないの?と。

 まあ、そもそも「何も考えずに突っ込んでいくと100%全滅するシナリオ」なんか考える方も考える方だよなあと、若気の至りというか、昔の感覚だとTRPGというのはサバイバルゲームであるという感覚だったので(そういう環境だったんですよ)、全滅するくらいのバランスで組むとPCが1、2人死ぬくらいで終わるというバランスだったので、同じ感覚でいまどきのPLに同じようにやってもバランスが変わってるってことなのかも知れません。

 「◆PCに目的を与える-1999/11/27」でもちょろっと書いてますが、僕が考えるNPCってことごとく腹黒い悪人ばかりだったりしますので(いい人でも何か一物を持っている)、素直すぎるPLとはスタイルとしてかみ合わないというのはあります。

 ということで、最近は多少ハッピーエンド志向に切り替えるべきか?ということも考えつつあります。なんも考えずに状況に流されて脊髄反射的な激情に狩られて突っ込んでるだけだろー、という人はしばしばいますが、でもまあ、ひねった挙句にハッピーエンドに落としてあげると喜びますので。少しむなしいですが。

 ゲーム的な面白さと教育的配慮みたいなものを考えるとするなら、「何も考えずに突っ込んでいくと100%全滅するシナリオ」を作ってもPLの技量に応じて何度もリトライ可能なシナリオにすればそれなりになるのかもしれない、とは思ってます。実際にやったこともあり、これはちゃんと回ったしな。その辺を何か綺麗にシステム化するか、システム化したシナリオを作るかそんなのを作りたいなあと妄想中。

 あー、「ツキカミ」に転生ルール入れるべか。これで心置きなくPCを殺せる(笑)。やるなら「キャラクター作成」というもの自体をなくして、即座に生まれ変わりキャラを差し替えられるようにするといいかのう。キャラメイクというのはキャラの魂を設定する作業ということにして外見の肉体はテンプレート選択にすればいいかのう。

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 全然関係ない話ですが、「歓びを歌にのせて」を見てローズ・トゥ・ロードをやりたくなったのだが。で、魔法のオプションルールで「魔法のハーモニー」ルールを取り入れて見たいなあと。昔「ローズ・トゥ・ロードでわかるRPG入門」?とかいう本でお遊びでみんなで協力して生成魔法を作る遊びが紹介されていましたが、あれを実際のプレイで使えないものかと。問題はタトゥーノって個別にMyデッキを持ってたりするので、カードの混在をどうするかというところですが…デッキ共有すればいいかのう。カード枚数は2デッキ混ぜるくらいで調節して…。
 あとは、いいネタだな。


すっかり話がそれたが、まあいいかw。

それでは
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by namizusi | 2006-02-06 01:13 | TRPG