ぼちぼち感想:(・_・)

TRPG関連の感想とか考えたこととか。
鬱傾向なので、心の中をどす黒いものに染め上げられるのが嫌な人は見ないがよろしいかと(ニヤニヤ)。



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・コミュニケーションゲームという観点で
http://d.hatena.ne.jp/LIST/20090601

えーっとこれ、反応しとくべき?(笑。

>付属シナリオを2つプレイしたのだが、一つ目の協力型シナリオでも、全員が満足する(Win-Win になる)のはシステム初見では事実上の無理で、なおかつ推奨人数を超えると不可能。(以下略(試行錯誤))

昔、天羅万象というシステムのサプリメントで「吸血姫」というシナリオがあって、これもガチ対決なシナリオでWin-Winになるまで納得行かなくて何度も何度も何度もやり直した、という話を聞いてかなりウケたことがありますが、これ、1997年発売の製品なので12年も前の話になりますな。

今頃になってそういう話を繰り返しているところがとても今さら感が^^;。

個人的にはそれより前に、セッション中に3勢力あって、それぞれがAサイドになる-Bサイドになると、パターンとして2^3=8パターンのシナリオが出来るよね~、とか考案してたので別に何とも思わんのですが。

どっちについても良いよ、なセッションの場合はそういうパターンを機械的に考慮しておく必要がありますな。

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>PC1の真の使命を知っていれば、PC4がPC1と戦う必要は無かった。無知とすれ違いが戦いと死を招いた。
>あぁ、たった一言のやり取りさえあれば…

>……なんつーか、三文芝居くさくねぇか?

>いや、事実そうだし、GMっつーかシナリオっつーか、システム選択の時点でワナじゃん。

いや、世の中の悲劇の99%は、誤解とコミュニケーション/情報不足によるものなんで、三文芝居どころか、ものすごくリアル・リアルだと思うなあ。

最初からPTで仲間ですっていう方が、ペラペラの薄っぺらい夢物語じゃないか?

……というただの好みの問題と思います。

コミュニケーションの齟齬によるドラマってどんなのがあるか?というなら、下記作品などに当たるとよろしいかと。個人的にはNARUTOもそうだし、エマもそうだし、世の中の作品の8割くらいはコミュニケーションの齟齬ばかり描かれているように思います。

・ジャイアントロボ-地球が静止する日-
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%AB

・ケインとアベル
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%AB

・ロミオとジュリエット
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9F%E3%82%AA%E3%81%A8%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88

漫画とかシナリオのセリフの掛け合いとかを分析してみると面白いんですけど、基本的に、相手の問いかけに対して正確に回答する受け答えってほとんど無いんですよね。一致団結して何かをする!という瞬間だけ会話が噛み合って、それ以外は常に微妙に互いに思いこみでずれまくりながら対話してたりするし、そうした方が見てて面白かったりします(相手の問いかけに対してちゃんと答えて止まっちゃうタイプの対話は「Q&A型」と言ってあんまり良くない対話のさせ方の例示として挙げられたりします)。

だから、秘密とかを持っていて、互いの思惑が常にずれまくる方が普通の現実的感覚だと思うんですけど。シミュレートとしてきわめて正確かなーっていう感想。

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>しかし、このゲームをコンベで一日プレイして、PLの経験値とPCの目的を蹴落とされた人も含めて、みんなが楽しい顔で帰れるだろうか?

個人的な体験としては、PvPで、もっとひどい蹴落とされ方をした人もいたけど、最高に楽しかったと言われたなあ。

10年以上前の

・PT制前提
・協力プレイ前提
・暗黙的に、それ以外は認められない

という環境だった頃は、確かに難しかったと思います。
当時は明確に、TRPGerはD&Dによって提示されたTRPGイメージに洗脳されてましたからな。
いや、デザイナーが亡くなって時代が変わって良かったよかった^^。

しかし、今は

・メタプレイが浸透
 PCが酷い目にあってもPLの目線で楽しむという楽しみ方が流布

・別にPCがパーティーである必要はない
 自分ひとりだけでも何とかなるくらいに各PCが強力

・負けプレイも楽しめる素地が出来ている

ていう感じに、PvPでも受け入れられる環境が出来ていると思います。

まあ、自分のPCが勝利しないと何が何でもダメとか、PCが死亡するのは絶対不可というようなお子様感性な人は合わないかもしれないので避けた方が良いかも。そういう人は時々いるし、そういう人は、場数を踏ませてそういうストレスにさらされ続けて耐性を付けさせないと、感情を押さえられなくてどうしようもない部分があるので、いつか受け入れられるようになる日を待つしかないと思います。

いっぺん泣くほど徹底的に、敗北してみるのが良いと思います。

昔からそうなんですけどPvPというのは万人受けではないけど、ある一定の層には確実に受ける方向性だと思います。

僕の希望としてはD&DだけがほぼTRPGの価値観を席巻するとか、1企業のシステムだけが席巻するとか、そういう悪夢のような酷い状況が、価値観の多様化で打破されるのはとても望ましいと思うし、そうなると万人受けしない、一部の層向けのシステムが出てくるのも当然の流れとも思います。

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>あと、他のPLも言っていたけど、目的と真の目的さえあればGMイラネー。ランダム決定表で充分。
 GMの労力削減にはいいかも知らんけど、存在価値まで削減しちゃダメでしょ。

 ここは、正反対の見解なのですが、えーっといちいちGMが介入してシーンとか提示しないとGMの存在意義がなくなるって思い込んでる?というところがなかなか面白いです。

 D&Dの、僕の感覚からいうと「要らんところまで作り過ぎな過剰なシナリオ」とか、シーン制なシステムの「やたらめったら全部のシーンをお節介なまでに作るシナリオ」とかに慣らされてると、空間恐怖症みたいな感じで不安になるのかもしれませんが、

・GMの意図は
 ・ハンドアウトを作る
 ・クライマックスを作る
 ・マスターシーンで誘導する

という部分で十分出せているし、それ以上はセッションの進行上要らない。
っていうかはっきり言ってウザい。

PLが自発的に演出できる部分でPL主眼でGMに何をしてもらいたいのかと言えば

・ルール通り公正に判定処理して欲しい
・世界観の基準を提示して欲しい

ていうだけなんですよね。それだけやってくれれば十分。それ以上は要らない。

http://ikapon.exblog.jp/9814931/

ここの話が関連していて面白いのですが。

・GMはどれくらいのことをやったら自分の意図をセッションに出せたと感じるか?

ということに関わってくると思います。
個人的には、

・いまどきのシナリオはやり過ぎ。超ウザい(笑)。

って思ってます。そんなにやらなくてもセッションは回るよ。

僕の意見としてはGMとは何か?と言ったら

・GMとは、指揮者みたいなものである

と思います。

指揮者というのは、自分では演奏しないんですよ。
でも、演奏しないからと言って、指揮者は不要でしょうか?
指揮者は自分では演奏しませんが、方向性は示します。

TRPGのGMのスタンスも近いところにあるんじゃないかな~と思うのですが。

で、GM(指揮者)のスタンスは、どうあるべきか?については「のだめカンタービレ」の2~3巻辺りを100篇くらい反芻して読み返すが良いと思います(笑)。GM(指揮者)が指針を示すことも必要だけど、演奏するのはPL(演奏家)だし、PL(演奏家)がやりたいことを拾うことも必要。両方が噛み合って初めて演奏(セッション)は完成する。それがTRPGにおけるコミュニケーション。

以前から何度も何度も言った気がしますが

・「拾う」っていうのはTRPGの基本中の基本である

これがないとTRPGにおけるコミュニケーションが片手落ちになってしまう。
昔はシーン制なシステムだとGMがセッションの体裁を整えるところばかりに注力して「拾う」という概念がなくて酷いものでしたが、まあ今は普通に拾うことも認知されてましになったなあと思います。

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・PvPにしてはとてつもなくぬるい
 PvPなシステムで完璧かつユニークなシステムと言えばPARANOIAを置いて他にはないと思いますが(あれも人を選ぶシステムでしたが、実に楽しかった)、それに比べれば随分ゆるいルールになっていると思います。

 対人感情ルールで懐柔できるゆるさを入れてるのが良いかと。

 で、あのゲームで純粋に全PCがWin-Winになるよう狙おう!と思ったら全員が全シーンをドラマシーンにして、獲得するリソースは全員が「対人感情」にし、全員で好意的感情を選べば良いと思います。毎セッション毎セッション互いが和解するために、なり茶のようなゆるゆる甘々なセッションをすればいいのですな。

 しかし、情報開示を制限されたり、目的がぶつかっていたりして時に困難。不可能にすら見えるかもしれませんが、いや、それくらいの障害があった方がやりがいがあるってもんかと。困難な

・私利私欲
・思いこみ
・不幸なめぐり合わせ

を乗り越えて和解に到達するから、達成感があるのであって、簡単に行ったらそれこそ詰まらん、て思いますね。

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・「和解する」は「モンスターを倒す」の100倍難しく魅力的な課題だ
 まあ、完全に好みですが(笑)、上記のように思います。

 何より「モンスターを倒す」なんてのをTRPGみたいなザルルールでやっていい気になったところで何が面白いのか?「ガチだ」と言ったシビアな環境でも8割はPCが勝つよう調整されてたりします。はっきり言って出来レース。勝たせてもらって何か面白いの?

 電源ありなシューティングゲーム、アクションゲームなんかの場合は、何度も何度も、何十回も何百回も敗北して、体で覚えてコツをつかんで、精神的忍耐度も鍛えつつようやく勝てて初めて「やっと勝った!」という達成感が味わえますが、TRPGではそんなまともなガチさ加減などどこにもなくてせいぜい

「なんちゃってガチ」

程度のぬるま湯のようなガチさ(笑)がある程度だと思います。

 しかし、「和解する」などのコミュニケーションゲームは常に100%ガチです。実際のセッションで勝てるかどうかは常に5分5分。「バランス調整して勝たせてもらう」なんて甘々な、ゆるゆる環境なんてほとんど無いです。

 で、TRPGの独自の醍醐味の一つはコミュニケーションだと思います。データを操作して数値的に勝利を目指すなんていうのはTRPG以外の無数のゲームのたぐいで表現されており、TRPGで遊ぶよりもよっぽど楽しいものがいくらでもありますが、コミュニケーション自体をゲーム的に遊べる媒体はTRPG以外にはそうそうありません。

 上でPCが全員お互い好意的な感情を取り合えば安定して勝てるという話を書きましたが、実際はそうそうそんなことにはなりません。ついプライズをゲットする方向に走るとか、人の秘密を暴くことに喜びを見出すとか、やりたくなってしまいます。そういうリアルな困難を乗り越えて、互いが和解し合えるよう頑張るのは難しくも魅力的なミッションだと思います。

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・恋愛プレイについて
http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1543#more-1543

 もう、いい加減にいい歳の野郎女郎が遊んでるわけだし、世の中のエンターテインメントの中の8割を占めると言われる?恋愛要素もプレイできるよう、プレイするよう、考えてみるが良いと思います。個人的には某FEAR社のリプレイはいつまで高校生の純愛物レベルをやってるのか……現実的には中学生、下手をすると小学生レベルの恋愛観かもしれないとも思うのですが。

 まあ、いろいろ痛い私生活のトラウマとかタブーに食いこんでくるので難しいとは思うのですが、システムなりシナリオなりマスタリングテクニックなりでそこんところを乗り越えやすくする方策は無いものかと。サタスペのルールなんかは結構良い感じに機能してるなーと思います。

 結局TRPGでコミュニケーションを重視してプレイすると恋愛周辺的心情をシミュレートできないと遊べなくなってくることがあって、難しいと言って避けてると世界観やキャラが薄っぺらくなるし、せっかくのTRPGの表現範囲も狭くなってしまうし何とか開拓できんものかと。

 最近は「萌え」というプチライトなエロっぽい表現が広まってきていますが、そういうライトな方向から攻める方が取り入れやすいかなあと。「萌え」というと良い大人な人は嫌がる傾向が強いと思いますが、恋愛とか性的表現の拡張という観点では良い取っ掛かりかもしれないなあ、と思います。

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・大人なプレイについて
 http://d.hatena.ne.jp/ninjahattari/20090606#p1

 まあ、カニバリズムがプレイ出来たからと言って「大人だ!」というのはナンセンスだと思うのですが、しかし「***できたから大人だ」という項目はものによってはあると思います。上で書きましたが「恋愛プレイ」が出来るかどうかを境に大人だ/子供だと言うのは、必ずしもNGじゃないんじゃないかと。

 カニバリズムも恋愛も「タブー」に関する事柄なのですが、違いは

1)大人になったら乗り越えられるようになるタブー
2)大人になっても乗り越えられないタブー

という2種類のタブーの分け方があって、恋愛は1)に属して、カニバリズムは2)に属するかなあと。

 1)に属するタブーというのは、恋愛とか、性的なものとか、「死」とか、「敗北」とか、負の感情とか、生きていく上で必要だったり避けられないことだけれども、むやみに子供に振りまわされると危ないなあ、というような事項のことです。たばこを吸うとか、酒を飲むとかもですかねえ。「殺人」はどうなんだろう?微妙なライン。

 ビルドゥングスロマンのような成長物語の場合は、上記のような乗り越えるべきタブーと衝突し、それを乗り越えることで主人公が成長をしたりします。で、こちらは

「常識的に、誰でも、遅かれ早かれ乗り越えるものである」

という世間一般的な認識はあるように思います。

 プレイしている人間が実際乗り越えているかどうかはともかく。

 最近は人が死ぬのを見ることが少ないので(戦争もないし、医療が浸透して寿命が延びているしetc...)死のタブーは乗り越えてない人が多いかな~と思いますし、恋愛とか性的なものについても、エンターテインメントが充足してるせいで現実に遭遇する必要性が低減してるかなあとか、大人になったら乗り越えているはずのタブーをいい歳になっても乗り越えてないことがある、という今の風潮が影響して難しくなっているというのはあるように思います。

 2)のたぐいのタブーの場合は、乗り越えるのは「狂気に踏みいれる」みたいな話になるので^^;、ハンニバルとか、殺人鬼とか、狂人とか、一般的な常識を乗り越えてしまう非人間的キャラクターの話の場合にはあり得ますが、そういう話は人を選ぶと思いますし、別に乗り越える必要性もないので、一生わからないまま終わる人もいる、というのを前提に考える必要があると思います。

 余談ですが、1)のタブーは「呪い」みたいなもので、基本的に親とか大人から「***はやっちゃいけないよ」「***には近付いちゃいけないよ」と現実に呪いをかけられます。その呪いがある段階で解けたり、解かざるを得なくなったりするのですが。うーむ。あとになると「ああ、あれは確かに呪いだったなあ(笑)」とか思うんですが。思いませんか?



まだ何かあった気がするけど疲れたで今日はこの辺で。
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by namizusi | 2009-06-06 21:45 | TRPG


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