失敗の概念の源流について:(・_・)

http://d.hatena.ne.jp/xenoth/20090624/p2

これを見て。
とてもわかりやすい例なので、TRPGの歴史と照合しつつ適当に論じてみる。



--

1.クトゥルフ神話TRPGに関する齟齬について

とりあえず

上記の記事の最大の突っ込みどころは

>昔、xenothが最初に「クトゥルフの呼び声」のキーパーをやった時は、館のマップを描いて、モンスターを配置した。ドアを開けると、ビヤーキーや深きものどもがいて襲ってくる。頭がD&D脳だったから、それ以外のシナリオの発想ができなかったのだ。ま、プレイヤーのほうも似たようなものだった。
>そういうゲームじゃないというのはルールブックに書いてあったし、サンプルシナリオを読めば理解することもできたが、やっぱりよくわかってなかったのだ。

--
ここでしょう。

システムのコンセプトに従わずに遊んで上手く行かなかったから失敗(ダメ)、という例と思われますが、正直、全く失敗でも何でもない普通の例だと思います(笑)。

この辺の認識の齟齬が、まさに、かつては(ある特定の領域について)失敗の概念がなかったが、後になって失敗の概念が導入された好例と言って良いと思います。

--
とりあえず、クトゥルフ神話TRPGについて限定して言えば、クトゥルフ神話物というのは今どきのジャンルとしては最大級に幅広く、懐の深いものであって、

正統派なホラー
ホラー系ミステリ
SF
超安っぽいB級ホラー
超能力ヒーローもの
魔界水滸伝のようなヤオイ物
妖神グルメのようなグルメもの!
「戦えイクサー1」「這い寄れ!ニャル子さん」のような、萌え系
デモンベイン、エヴァンゲリオン、のようなロボットもの
千と千尋の神隠しのような童話もの
正統派ファンタジー
マスコット系
青春もの
「ミスト」のような群衆パニックサスペンス
神話生物と交流するシナリオもOK
etc...

などなど、実に多種多様なジャンルをカバーしており、元のシステムのまま無茶して遊ぶ場合もあれば、改造データでバリバリ伝奇アクションをやってたり、公式にモンスター討伐に特化したクトゥルフD20、クトゥルフ・ダークエイジ、比叡山炎上などもあります。

上記程度のハメ外しで失敗云々言うのは到底お門違いもいいところである、というのが僕の認識です。バランス調整し直して遊べば普通に遊べると思うなあ。とりあえずPCのPOWは18で正気度90のPCばかりでガンガンいけば普通に行けるかと。武器が要るならクトゥルフNOWを導入して近代兵器充実で突っ込めばばっちりかのう。

--
2.第2世代TRPGの特徴
 上記のクトゥルフ神話TRPGの特徴は、第2世代TRPGの特徴とオーバーラップする部分が多いと考えるのですが、ポイントとしては

・リプレイはほとんどなく、コンセプトに則った遊び方が浸透していない。そもそもそんなもの(コンセプトに従った正しい遊び方というもの)があるかどうかすら不明

・ダンジョンから屋外に出て多種多様な遊び方を模索しており、遊び方について、常にトライ&エラーのスタンスでいるのが普通

・1個のシステムで多種の遊び方が出来るようにデザインされている。例えばRQの場合は、ハンドアウト/生き様(カルト)あり、パーティー制・一時的共闘、PvPの遊び方が最初からフォローされている。極端なのがやりたかったらトロウルとか、ドワーフとか、何ならルナーで宗教論争を吹っかけても良いぞ。

という感じ。

そもそも、「こういう遊び方が正しい」というのが無いor概念が希薄で、遊び方を絶賛模索中であり、トライ&エラーが当たり前で、失敗しても全然OK。失敗の中でどれだけ成功を拾うか、という感覚であったと思います。

--
3.場所によって遊び方が全く違う
また、上記と同じ理由で、場所によって遊び方が全く違うのも特徴と言って良いと思います。
僕が第2世代のBローズをやってた時には、内輪では

・幻想的な魔法が出まくる
・戦闘は死ぬほどガチ

な感じで遊んでたのですが、別のところだと、すごいほのぼのやってたり、ギャグ満載で遊んでたり、逆にこっちのスタイルでやると「全然遊び方が違うね~」と感心されたり、とにかく、いろいろな遊び方があって、同じシステムでも場所によって全く異なる(同じサークル内でもGMによって全く変わることもある)というのが当たり前で、違うからそれが悪いと言うこと自体が意味のないことであった、というところがあると思います。

上記記事で、「色々なゲームを遊ぼうぜ」と書かれてますが、それ以前に色々なゲームを遊んでも同じコミュニティー内でしか遊んでないと遊び方がどうしても偏るので、いろんな場所で、同じシステムでも場所によって遊び方が全く違うこともしばしばあるので、さまざまな場所で遊んで様々な価値観に遭遇してみるのが良いのではないかと思います。


「いろんなところで遊ぼうぜ」


こう言いたい。

で、場所によって遊び方が全く違うの好例としては、RPGマガジングレートに掲載されていた、

「CLAMP学園RPGのシステムを使って二百三高地をやる」

というリプレイがありました(非常に面白かったです)。どんな行動をしても50%の確率で失敗してしまうのがCLAMP学園RPGの特徴なのですが

→失敗が多いので、ドタバタギャグプレイに走る

というのがデザイナーサイドの基本コンセプトだと思うのですけど

→失敗が多いので、人がゴミのように死んでいくシビアな戦場プレイに走る

という表現で使っても、ちゃんとシステムとして回り、表現力的に問題が無い、という感じ。
で、そんなときには

・上手く回るならどっちでも良いじゃん

というのが第2世代に親しんだ人のスタンスかなあと思うのですが。

--
4.FEAR社系システムで新たに導入された成功/失敗の概念
 2つあると思います。

1)セッション成功。全員が楽しければ成功、という概念
2)システムのコンセプトに則って遊ばずにうまく行かなかったら失敗

 1)はまあ、別にいいと思うんですが、問題は2)の方かと。2)の方は、多分どこにも明文化されてないでしょうが、こういう概念が発生した起源というのは第2世代TRPGの基本概念との際によって生まれたものだと考えていて、第2世代の場合は、

・そもそも正しい遊び方なんてのは無い。常にトライ&エラー
・最適解に近い遊び方は、複数あってどれが正解というのは無い。最後にクライマックスを持ってくるスタイルも、最適解の中の1つのスタイルにすぎない

という感じだったのですが、FEAR社系のシステム(主にブレカナ以降)では

・セッション運営ルールで最後にクライマックスを持ってくるスタイルのみが推奨される遊び方として提示される
・絶対悪/勧善懲悪を基本テーマにして、最後に敵を倒す遊び方が推奨される

という感じに、システムで提示される『正しい』遊び方が明示されるようになりました。まあ、これにはメリットもデメリットもありますが、デメリットとしては

・「クライマックスが明示されないと、いつ終わるかわからなくてストレスを感じる」と声を大にして言う人が現れるようになった(笑)
・ラスボス戦闘しないと文句を言う人が現れるようになった
・ラスボスを説得して懐柔するとか、自分がラスボス側に寝返ると行ったプレイが否定されるようになった

というような弊害が出てくるようになりました。デメリットだけじゃなくてメリットもあるんで、取捨選択の問題だと思いますが。

この辺の弊害については、デモンパラサイトで「まあ、戦いたくなければ説得でも良いじゃん」という概念が導入され、逆輸入的に最近のDXの公式のリプレイでPC自身がジャーム化する話が出てきて、やっとまともに日本的善悪観が遊べるようになってきたなあと感慨ひとしおなのですが。

--
5.結論
 まあそんなわけで、FEAR社系システムによって、TRPGに(ある特定の)成功/失敗の概念が導入されるようになったと考えます。最近は、遊び方の幅を広げて成功/失敗の概念も緩くなってきてるかなあと感じていますが。

 成功/失敗が明確になったことで目指す遊び方がわかりやすくなったというメリットがあると思います。が、反面、新しい遊び方を模索してトライ&エラーするのが許されなくなってやり辛くなったなあとも思っています。

 個人的には、ずーっと寝かせっぱなしの、ブレカナで神様殺しシナリオはいつできるのか(笑)。



まあ、そんなところで
[PR]
by namizusi | 2009-06-24 22:32 | TRPG


<< 箱庭よりもベクトル集中:(・_・) 私的オンセの運営方法について(... >>