表現者の逆転について:(・_・)

http://blog.talerpg.net/rpg/archives/1606
これを見て。



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多分次のエントリの
「プレイヤーという英雄」で書かれるんじゃないかと思うのですが
まあ、GM=表現者なうちはGMのスタンスで感動することはそんなにないように思います。

……いやそうでもないか。
セッションを盛り上げるために、例えば敵役のわりと本気っぽい憎悪とか怨念とか愛情とかをプレイするためにスイッチを入れることがあるんですけど、そういうときはわりと当事者的な感覚になってプレイしてるのでわりとそこで起きる出来事に対して感動できるように思います。事前にプロットがあってそれをなぞってる感じが残ってると感動って特にないのですが、そういう感覚を外すスイッチがあると言いましょうか。クゥ~ッて感じにスイッチを入れる。NPCのセリフを考えるときなんかに、それらしいセリフにするために感情をトレースするんですけど、プレイ中も同じようなことをやるかな~。

あとはまあ、GM側からは物語発生しそうな枠組みだけ提示して、セッションの物語表現者がPLに入れ替わるようにして、そこで発生する物語をリアルタイムに観てるような状況にするとわりと感動するように思います。

例としてはこんなの。

http://sun.endless.ne.jp/users/simizuna/scenario/Other/romantic_warrior/rw_sin_en.htm

クライマックスの大まかな枠組みだけ提示して、あとの中身は全部PLに丸投げで自分で話を創ってください、とかそんな感じなんですが。上記の例はかなり偏ってて酷いので(笑)、アレなんですけど、多かれ少なかれPLが表現者となってリアルタイムに物語を創造して見せてくれているという要素が多少なりとないと、正直感動しないし、マスターしててつまんないかな~と思います。

あとは、元記事で悲劇的失敗の話が書かれてますが、

・目的は達成した
・しかし犠牲が伴う結果になった(PCが犠牲になるとかNPCが犠牲になるとか)

というような“英雄的?”行為とか、結果に対して感動することはあるように思います。日本人は自己犠牲が好きなんじゃよ(たぶん)。

深淵というシステムだとプレイヤーの掲げるのが望ましい目的として

1)美しい物語を紡ぐ
2)運命を解決する
3)生き延びる

とか言われますが(上ほど優先度高し)、

・目的を達成するか否か
・PCが生き延びるかどうか

が、まったく別物として認識されているということです。
あとまあ、

・目的を達成するべく頑張る
・実際に目的が達成できるかどうか

の2つも、まったく別物として認識されています。

悲劇的感動で重要なのは、ミッションの成功というものに対して上のように細分化して認識することで、成功/失敗を段階的に、つまびらかに把握するところにあると思います。

・目的を達成するか否か
・PCが生き延びるかどうか

のジレンマでは、目的は達成されたが、何らかの犠牲が発生したという自己犠牲的ドラマが発生しますし(これは日本人の国民性的にとても受け入れやすい価値観だと思います。好きだろう?君たち(笑))

・目的を達成するべく頑張る
・実際に目的が達成できるかどうか

のジレンマでは、誤解による悲劇というものが発生します。

「その、PCの状況だと、目的達成するためにそう行動するのはきわめて正しいが、全体を俯瞰すると全く見当違いで間違ってて悲惨な結果になっちゃうんだ!」

という状況。『その、PCの状況だと、目的達成するためにそう行動するのはきわめて正しい』という部分に共感されると感動を呼ぶプレイになります。具体的に言うと「マッチ売りの少女」とか「フランダースの犬」みたいな感じですな。

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ただまあ、悲劇的感傷と、笑いってわりと近いところにあって、むしろ上のような状況になると笑っちゃうことも個人的には良くあるんですけど、PL側でしんみりしてることも多いのでそこは逆にセーブするかなあってところはあります。



タイトルと内容がずれてる気がしますが、まあ、そんなところで。
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by namizusi | 2009-07-27 00:00 | TRPG


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