段階的成功と感動とTRPG

http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20090729/p1

個人的にはTRPGと感動云々については去年のMyテーマだったので(今年は“動物”を題材にすることで世界描写を全網羅する、かな(笑)。なので「MouseGuardRoleplayingGame」の記事を眼をギラギラさせながら眺めている!)、わりと今さら感を覚えつつ書いてたりしますが、それはさておき、上記記事の不能感がTRPGと相性が悪い?という見解にはわりと反対だったりします。



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1.全能感の達成のために奪われたゲーム的面白さについて
不能感の対立項として全能感というものを掲げておきますが。

そこら辺は
http://d.hatena.ne.jp/blue_jmn/20090716
の記事の技能チャレンジで段階的成功を取り扱えばゲーム的に面白くなるのでは?という見解と大いに関係があると思うのですが。TRPGで中盤のプレイを評価する意味で段階的成功を扱う話は昔からあった記憶があるんですけど、特にシミュレーションゲームの「シナリオ」の感覚でTRPGの成功が評価されていたときは、成功結果を細分化してそれぞれに対して経験点を与えていたものです。

で、今時だと

・段階的成功とか部分的成功を扱った方がゲーム的に面白くなるのでは?

という見解があるにもかかわらず

・実際には完全成功(大団円)しか見ていない、ことが多い?

という気がするのは、部分的に成功、すなわち、部分的に失敗/喪失という要素がある、という事実を受け入れることをよしとしていないことによると考えます。で、最近のシステムで

「PC
 =全能者に近い存在
 =苦労しても結局は全部を手に入れる(後腐れないように)
 =そうじゃないと気がすまない(笑)」

……中二病的に(笑)、という価値観の偏りの影響がTRPGにも来ているのではないでしょうか。

この辺については、TRPGにおけるヒーローポイント的要素の取り扱いの変化でも見てとれるのですが、ヒーローポイント的要素がTRPGに導入された初期~中期辺りは、その強力さゆえに


・一度使ったら二度と取り戻すことが出来ないリソース


として設定されたものがよくありました。Bローズの潜在点、Fローズの感情、クトゥルフの正気度、ゼノスケの日常、メガテンの命運、深淵の寿命などなど。これらは、

「シナリオ上のミッションはクリアした。
 しかし二度と取り戻せないなにものかを失った(システム的に)」

、という具合にミッションの達成度の評価を明示的にするのに大きく寄与していました(加えて、それらの喪失にまつわるドラマの発生も表現)。

しかし、最近の?システムではこの手のヒーローポイントはホイホイと気軽に吐いて捨てるかのごとく使用可能になり、システムによっては使えば使うほど経験点が増えてありがたみが失せたというか、成功度やドラマ表現としては無意味なただの見せ場を確保するだけのツールに堕したところがあるように思います。

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あるいは、戦闘における死亡の取扱いの変化も、段階的成功の闘争ゲーム的面白さを奪う、茶番に変えてしまっているところがあると思います。

ぶっちゃけ、身も蓋もない言い方をすると、戦闘の段階的成功って要するに

・PCが何人死んだか/生き延びたかによって段階的に図る

部分が多分にあったと思うんですよ。例えばキャンペーンのラストの本気な戦闘なんかの場合には最悪全滅しても構わんくらいのバランスで組んで、PC/PL側が事前準備や戦闘中の行動でどれだけ上手くやったかでPCの死亡数をどれだけ減らせるかが決まる。よほど幸運に恵まれて、完璧にプレイし終えたのであれば、全員生還も可能。そんな感じでやってたように思います(ほんとか)。なので、PCが死んでも、生き延びてもそれはそれで、自分がやれる範囲でやった成果だから納得して受け入れることが出来ていたと思うんですけど、

完全成功:全員生還
成功度高:死亡一人で済んだ
成功度中:2~3人死亡
成功度低:生き残ったのは1人だけ
完全敗北:全滅

こんな感じ。
(まあ、別に損失部分はPCにしなくてもNPCとか大切なものとか故郷とかにしてもらっても良いですが。部分失敗っていうことは、そういう何か大事なものを失うってところがあると思います)

しかし、最近のルールだと基本的に戦闘不能になっても死亡じゃないので、起こすだけで良かったり、あるいは魔法等で手軽に蘇生可能(金さえ払えばいくらでも蘇生可能だったり)、という感じになってPCの部分的死亡(部分失敗)が、実質ほぼキャンセル可能で無意味化してしまっているため

成功:全員生還
敗北:全滅

という、たった2段階でしか成功の度合いを測れなくなっています。

そうなると、一生懸命キャラを強くしたり、戦略を練ったりして戦いを有利にして勝利しても、テキトーに大して考えもせずGMの言われるままにダイスを振ってるだけでなんとなく戦闘して勝利しても結果は変わらないわけですから、一生懸命やる意義が喪失してしまっていると思います。こんなことだったら戦闘関連なんてなるべく手を抜いてギリギリ最低限の弱いキャラを作って勝てるか負けるか微妙なラインでヒーヒー言いながらスリリングにダイス目に一喜一憂してた方がましだわ、とか思ってしまいます。

そんな具合にPLの全能感(欠損のない)を満たすため、段階的成功/段階的損失(部分的不能感)が、概念として失われてきている部分があると思います(そうじゃないシステムもあるけれども)。

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あと、MouseGuardRoleplayingGameの
http://d.hatena.ne.jp/piroki/20090718
「ツイスト」(twist:ひねり)と「バッドコンディションを伴う成功」は面白げだなあ。

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2.対戦ゲームとしてのTRPG(PvP)
PvPの場合はPCの強さは相対化され、あるPCが何かを得れば、必ず他のPCは何かを失います。

TRPGで扱うテーマとしては難易度が高いので一時は絶滅しかけてましたが、最近はぼちぼち復活してきてる?

でまあ、難易度は高めなんですけどPvPはキャラを互いに引き立て合うのにとても有効だし、必然的に発生する不能部分によって悲劇的ドラマとか感動とかも発生しやすいと思います。

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3.まとめ
長々とだらだらあれこれ書きましたが、まとめると、

・不能感、損失観はTRPGの段階的成功を表現しやすくしてくれ、ミッションクリアゲーム(「ミッションクリア物語」ではなく)としての面白さをむしろ補強してくれる

・加えてTRPGに対戦ゲーの面白さもよみがえらせてくれる(緊迫感のある人間関係・掛け合いなどが促される)

というわけで、不能感があった方が、TRPGはゲームとしてより面白くなるし、相性はとても良い、と思います。

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4.ただまあ
ストレス発散のために全能感を味わう目的のゲーム(コンシューマゲームで言えば、戦国無双とか戦国BASARAみたいな感じ)は、それはそれでありだと思います。が、そればっかりなのはどうなんだーと思うし、今は比率が偏りすぎじゃね?と思わなくもないです。どうなんだ?

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5.大人力と子供力
なんか、以前そんな分析の本を読んだ記憶がありますが、不能感を入れるか入れないかってのは大人力でTRPGを遊ぼうとするか、子供力でTRPGを遊ぼうとするか、そんな違いがあるかなあと。ヱヴァンゲリオンとエヴァンゲリオンの違いみたいな感じ。

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6.しかしこう
元記事の固定イベントとしての悲劇についてほとんど書いてませんが、滅多に使わんからなあ(笑)。

上で書いてる完全成功が1%くらいでしか起こらんかなあ?っていうPL自身が奇跡を起こさない限り部分成功しかしない難易度高いミッションばかりしかしてないので、普通に部分成功で何か損失があるんですよねっていう。

固定イベントにするのは「PCはただの一般人で、出来ることに限界がある」という了解の得られているシステムくらいですかねえ。クトゥルフとかりゅうたまとか。



そんなところで
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by namizusi | 2009-07-30 00:10 | TRPG


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