シノビガミ弐のリプレイがとても良い出来なので分析しようかなーと思っていたのだが、このリプレイが良いと思う最大のポイントは「当事者性」の問題をクリアできてるところかと思ったので、その辺を整理してみる。
参考文献としては
・シノビガミ弐
http://www.bk1.jp/product/03154910
・ダブルクロス・リプレイ・ジパング 2 日ノ本ビッグバン
http://www.bk1.jp/product/03119891
この2つが非常に分かりやすいと思うので。
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※ネタばれしまくり注意!
1.「当事者性」=FEAR社のゲーム?
どうも、FEAR社のゲームや類する文献などで「当事者性」という言葉をよく聞くように思うのだが……ホントにそうか?と思って調べたところでは、公式ページだとこんな感じであろうか。
http://www.fear.co.jp/nirvana/nir_con1.htm
>危険で背徳的であることは、プレイヤーの想像力を刺激し、世界における当事者性を増大させるからだ。
他に比較的多数の見解を入れたであろう記事としては
・卓上ゲーム板用語辞典
http://www16.atwiki.jp/takugedic/pages/31.html#toujisyasei
【当事者性】(用語:TRPG)
TRPGの背景世界にどれだけ強力なNPCや組織があったとしても、セッションをハッピーエンドにするのもバッドエンドにするのも最終的にはPCの行動に左右されなくてはならない、という考え方。
TRPGのシナリオ作成思想のひとつ。FEARのゲームで特に重要視されている。
という感じ。
試しにGoogleで「当事者性 FEAR」で検索してみると3000件あまりがヒットする(2番目が自分の記事なのは笑える(笑))。
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2.「当事者性」という言葉の認識の齟齬
ところが、正直個人的にFEAR社のリプレイを読んで当事者性が高いなあと感じた経験が
全くないので、この認識の齟齬は何だろう?と、とりあえず辞書を調べてみた。
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・広辞苑第六版
とうじ‐しゃ 【当事者】タウ‥
その事または事件に直接関係をもつ人。
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・パーソナル現代国語辞典
とうじしゃ【当事者】
その事に直接関係している人・団体。{対語}第三者。
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・新漢語林
【当事者】(トウジシャ)
直接その事にあたっている(関係している)人。
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こっちの説明はしっくりくるように思う。
上の「卓上ゲーム板用語辞典」と比較してみると違いが良くわかると思うのだが
・「事件を解決する人=PC」が「当事者性」
・「事件に遭う人=PC」が「当事者性」
という明白な違いがあるように思う。ていうか「卓上ゲーム板用語辞典」は思いっきり間違ってる気がするのだが(笑)。ニルヴァーナの説明の方の「当事者性」は辞書の「当事者」と合っているように思う。
むしろ、実際にFEAR社のシナリオ・システムで提示されている「当事者性」の表現に近いのは
http://blog.livedoor.jp/call_of_c/archives/50714300.html
これのような気がする。
・「実際に事件に遭う人≠PC」であるが、「実際に事件に遭う人=PCと親しい人」
という立ち位置を示すことを「当事者性」と言ってるのではなかろうか?
個人的な見解としては
そもそも、PCとヒロインを分離した時点で当事者もクソもねー(笑)
と思ってしまうんだが、どうだか。
……とりあえず、世間一般の辞書に書かれている『当事者』と、ネット上でFEAR社のシステムで強く推し進められていると言われる?「当事者性」の間にはかなり大きな認識の齟齬があるように思われる。
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3.TRPGにおける「当事者性」の整理
TRPGにおける「当事者性」で考慮すべきポイントとしては下記のようであろうか。
<PCレベルの分類>
1)事件等に遭遇した人物とPCが親しい
2)事件等に遭遇したのがPC自身である
3)事件を解決するのはPC自身である
4)事件を解決出来ないとひどい目に遭うのはPC自身である
<PLレベルの分類>
5)PLがPCに感情移入して、あたかも自分の問題であるかのように、問題解決に尽力する
個人的には1)は、当事者性が高いとは全く思わないのだが、世間では当事者性が高いと感じるらしい。理由として考えられるのは、
0)PCは事件の被害者と親しくも何ともなくて依頼されただけ
というスタンスでプレイすることが多かったのに対して、1)のスタンスはもう少しPCの身近な問題に変えているので、「当事者」にはほど遠いが、全く無関係な状況に比べれば多少、ちょっぴり「当事者っぽい」という点で「当事者性が高い」と言えなくもない、かもしれない。かもしれない。
んが、個人的に当事者性が高いなあと思うシステムとしては「深淵」とか「シノビガミ」とかがそうだと思うんだけど、こちらのシステムではそもそも立ち位置が2)から始まるのがデフォルトである。で、PC自身がヒロイン化するのでNPCとしてヒロインを立てる意味がなくなったりするんだけど。
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4.紙魚砂的に「当事者性」が高いなあと感じる瞬間
まあ、PCと本当の『当事者』であるNPCを親しくさせることは、全く無関係な立ち位置のセッションに比べれば当事者性が高くなって自発的にPCが動くようになる気がしなくもない。「当事者性が高い」と言うよりは「当事者性がある」くらいの感じであろうか。
個人的にはその程度では
全然生ぬるいと思っていて、もうちょっと大きな山を乗り越えないと、到底「当事者性が高い」とは言い難いと感じる。その山を乗り越えるには「ギャップ」が必要だと思っていて、下記の2つのパターンがあると思う。
・パターン1:PCレベルのギャップ
PCは親しくも何ともない赤の他人である。
にもかかわらず、大きなリスク(例えば死)があるとわかっていながら、事件に関わる覚悟をする。
・パターン2:PLレベルのギャップ
GMに、「当事者」になっても良いけど大変だ、無理っぽかったらならなくても良いよというネタ振りをされたときに大変でも、辛くても「当事者」の立ち位置になることを選ぶ。
……どんでん返しがある系のシステム/シナリオでは中盤~終盤間近になってとんでもない設定が明らかになったり、生えてきたりしますが、ハンドアウトなどで開始以前にそういうハメっぽい設定が付加されるのは「プレイするのが厳しいならそのPCは選ばない」という対処で回避できて、やりたい人がやればいいのでそんなに問題ないと思うんですけど、中盤以降でとんでもないトラップのような設定が明らかになるのはPLに「いや、そんなのプレイ出来ないよ~」と言われるリスクがあります。あるいは適当にスルーされるとか。悪く言うと設定の押し付けになってしまうので、よくやる対処としては
・メタで選択させる。その設定を真正面で受け止めてもらってプレイするか、無難な設定に逃げて無難なセッションをする
という2択で、まあ厳しかったらやらなくても良いよ、というスタンスで保険を持たせます。話的にはその設定を素直に受けてプレイするのが面白かったり、美しかったりすると思うのですが、人と自分の価値観は違いますので猶予を持たせる感じでしょうか。
んでまあ、上のパターン1は、PLが勝手に設定を創って絡んでくる創造力豊かなタイプじゃないと成立しないので、計算してやるのは難しいのですが、パターン2は、シナリオで設定を上手く噛み合わせておけば普通に出来ます。
で、上で上げた2つのリプレイがわかりやすい例なんですけど、
・ダブルクロス・リプレイ・ジパング 2 日ノ本ビッグバンの場合
状況:実はアヤカシPCがPC1の***では!?というネタがGMから振られる
結果:アヤカシPCとPC1の***は別人という設定を選び、無難な展開に
正直、オンでもリアルでもリプレイでもこういう無難でヘタれなプレイをされると超がっかりするのですが、まあ、実プレイで無難な方向を選ぶのはメンツの相性とか、環境とかの問題もあるのでしょうがないかなあと思うんですが、金取って公式を謳ったリプレイでそのプレイは何なのさ。とりあえず「当事者性」の風上にもおけん。……という感じに、他の部分はとても面白かっただけに、そこだけ非常にがっかりした、商業リプレイもしょせんこの程度のレベルかあとしみじみ思う展開でした。ああ、超がっかりだったよw。
公式リプレイですら「当事者性」の問題をクリア出来てないのに、「当事者性」云々言うのはどーかと思うのだが。
・シノビガミ弐の場合
状況:PC1の蘇らせようとしている「愛する人」は、***のことでは!?というネタが振られる
結果:「愛する人」=***という設定を受け入れて、全力で死闘を繰り広げる
という感じ。
シノビガミ弐のリプレイのようなプレイって、正直、そんなに難易度は高くないと思うんですよ。使命/秘密の絡みをしっかり設定して、それなりに出来るメンツが集まれば、細部のくだらない上手いプレイの部分は出来ないかもしれんけど、シナリオの骨子にある部分のネタはわりと誰でもプレイ可能。んで、良いプレイなので、ぜひああいう方向を目指してプレイ出来るようになってくれんかなあと、そういう期待の持てるリプレイだと思います。
んで、「PC1の蘇らせようとしている「愛する人」は、***のことでは!?」というネタを受けると精神的にとても辛いことになるんだけど、そこで逃げずに最後までプレイし遂げてるのが素晴らしいと思うのですが。
日ノ本ビッグバンの方も超ばかばかしくて面白かったので、一応フォローしようかと分析してみますが、「当事者性」に関する明白な失敗/成功の結果の差が出てしまった原因としては
・ビッグバンの方は、PC4にネタが振られたため、遠慮したのではなかろうか。
シノビガミ弐の方はPC1なので最初からそういう落ちが来るかもという覚悟をしていたのかも。
・ネタの振り方があざとくて下手だった(笑)。
紙媒体(秘密)でこっそり提示するのが受け入れられやすいポイントかも
→実際、情報を隠蔽して渡すと受け入れ率が上がると思います(実体験)
・男性と女性の差(偏見)
女性PLって、数字データを読むのは下手な人が多いように思うけど、こういう感情的しがらみがあるところで腹をくくってやり遂げるプレイは超絶上手い人が多いように思う。
というところがあるのかものう、と思います。
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5.アニメ「ガンバの冒険」の第7話~第9話
あらすじ(引用):島にはザクリと呼ばれ恐れられているキツネがいた。早く島を離れろ、とクリークは言うが、ガンバたちはどうしても放っておけない。しかしガンバたちの勝手な行動で、リスの仲間が犠牲になってしまう。初めはガンバたちを拒絶していたクリーク。しかしボーボが一目ぼれしたクリークの妹、イエナがザクリにさらわれたことをきっかけに、共に戦うことになる。
この話は「当事者性」についてかなり分かりやすい組み立てになっていると思いますので構造分析をば。
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1)ザクリという恐ろしい獣がいるにもかかわらず、なぜ逃げないのか?と問うと「この島が大好きだからだ」という回答がある
→この時点では「傍観者」
2)忠太は、ノロイの脅威にさらされている自分の島の仲間と境遇が同じだ、と同情する
ガクシャはノロイを倒す前にここでこんな事件に関わっている余裕はないと言うが
イカサマはザクリを倒すことも出来ずにノロイを倒すことが出来るのか?と問題をすり替える
ガンバは「奴はこの島のノロイだ!」と宣言する
ガクシャはノロイであれば、倒さねばなりませんね、と主張を翻す
→「傍観者」の立場を無理やり「当事者」に引き寄せる
3)ガンバたちの試みに気付いたザクリによって島リスが殺される
島リスたちに島から出て行けと言われるガンバたち
→「当事者」になろうとしていたが、事件によって「傍観者」に押し戻される
4)最後の別れにボーボとイエナがデートをしていたところをザクリに襲われ、イエナが人質としてさらわれてしまう
→ボーボを介してガンバたちが「当事者」に格上げとなる
5)島リスのリーダー、クリークは、妹のイエナを見捨てて逃げろと仲間を導く
→「当事者」であった島リスたちが、「イエナをさらわれた」件に関しては「傍観者」へと追いやられる
6)ザクリを倒しに行くガンバたちと仲間を逃がしたクリークが合流する
→「当事者」となる覚悟をした者たちが合流してモチベーションを高め合う
7)ザクリとの戦いで苦戦していたガンバたち&クリークの元に、逃げたはずの島リスたちが助けにやってくる
→「傍観者」へと追いやられたその他大勢の島リスたちが「当事者」へと上り詰めてくる
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この手の話は基本的に
「当事者でなければ、リスクを冒して戦うのは不条理」
というルール(厳しい野生の掟)があり、そういう条件下で
「いかにして当事者になる理由付けをするか?」
が、話の盛り上がりどころとなります。この回の話は、とにかく立ち位置が右往左往しまくって、いったい誰がどうなるのか!?と、ハラハラドキドキする展開となっています。特に、最後は
「一時は対立し合ってすらいた全員が
危険を顧みず当事者となることを選び、
一致団結する」
という展開が、熱くも感動的で、好きなエピソードです。
そんなところで