オブジェクト指向シナリオ(5)最終回


 第5回である。(1)~(4)を予習しておくこと(特に(4))。オブジェクト指向シナリオ論は今回で最終回とする。

 さて、今回はシナリオに登場させるキャラクターに、オブジェクト指向の継承関係の概念を入れて分類したことによって見えてくる効果について解説する。

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1)「ルールで規定するキャラクター」以前に「人間クラス」が存在するということ
 これの意味することは、TRPGではルール以前に、人間であるPCをシミュレートしようという要素が多分にあるため、常に、ルールでは表現しきれていない潜在的な要素(属性・振る舞い)が存在するということである。そして、そういった要素もゲームとして遊ぼうという主旨がTRPGの、他の凡庸なゲームには存在しない独創的かつ面白い部分である(これは必須事項ではないが)。この辺の話は以前書いた「顕在設定」「潜在設定」の話と同じ話になる。ちなみに上位のクラスの属性・振る舞いが仮想的にそのクラスを継承したクラスにも適用されることをオブジェクト思考では

・継承

と言い、そうやって継承される属性や振る舞いを

・仮想フィールド
・仮想メソッド

と呼ぶ。

 ちなみに、個人的な意見を言わせてもらうなら、この辺の要素も遊ぶ気でないならTRPG以外にきちんとバランスが取られて良く出来たゲームなどいくらでもあるのでそちらをプレイされるようにして欲しいものだ、と思う。その方が問題なく楽しめるしね。

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2)ゲーム的には常に「インタフェース」というフィルターを介してキャラクターというものが見られるということ
 オブジェクト指向シナリオでは、例えばPLがPCに対してどんな設定を考えようとも、それがルール的インタフェース(「ルール上のキャラクター」クラス)、もしくはシナリオで想定する物語的立ち位置のインタフェース(「ハンドアウト」クラス)を介してしか対処されない。要するにTRPGをゲーム的に遊ぼうと考える場合、インタフェースに現れてこない要素はすべて「無意味」なのである。またGMは常にそれらのインタフェースを介してPCの挙動などを解釈することでシナリオの独立性を保つことが出来るのである。

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3)インタフェースの必要性
 で、オールドゲーマーの場合、よくこういった物語的位置づけもゲーム的に遊ぶためにハンドアウトというインタフェースを公開するやり方を嫌う人が多いように思うが、そもそも「人間」というものをシミュレートすることを目指し、それをゲーム的に遊ぶために「システム」というインタフェースを入れるのはOKにしたのに、物語的要素もゲーム的に遊ぶために「ハンドアウト」というインタフェースを入れることに抵抗を示すというのは実に不合理的な感情的反応であると言っていい。彼らはタコだw。

 むしろ、オブジェクト指向シナリオ的に、

・可能な限りどんなPCにも対応し
・各PC個別のアクションはPLの独創性に任せ全体のゲームが破綻しない範囲で「自由に」プレイできるようにする

ためには「ハンドアウト」のようなインタフェースは「必須」である。「ハンドアウト」によってPCの行動が制限されるというのは勘違いも甚だしい。むしろ他者とアクセスする部分を明確にすることで、それ以外の部分をいくらでも自由にプレイできるようになり、かつどの部分をどこまで自由にプレイして良いかが明確になるのである。

 TRPGが自由であるなんていうのは幻想に過ぎないが、ある区切られた大枠の進行を阻害しない範囲での「自由」は十分可能である。そしてそういう「区切られた外枠の範囲」を明確にしてくれるのが「インタフェース」なのである。

 以上でオブジェクト指向シナリオ論は終わる。

 オブジェクト指向シナリオというのはTRPGのすべてのプレイスタイルを網羅するシナリオではなく、「群像人間関係シナリオ」のような人間関係を主体とし、物語的要素も抽象化してゲーム的に遊ぼうというようなシナリオ/セッションに向いている(他にも向いているものはあるかもしれない)。ダンジョンに潜ってサバイバルするようなシナリオ/セッションには向いていない(しかしあれはTRPGではなくて、ただの戦闘級シミュレーションゲームにしか思えんのだがねw)。ということで、この方法論を利用する人はそういった適性を理解した上で使用すること。

 今後の論の展開としては「群像人間関係シナリオ分析パターン」の実装と、その辺から派生する論の解説などをぼちぼちしていくことにする。例えば「シーン」というのをオブジェクト指向的に抽象化するとどうなるか?というのは興味深い話題である。

 ではまた。
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by namizusi | 2005-01-02 16:14 | TRPG


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