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(ネタばれ必至)解題「時をかける少女」(4):(^_^)

この馬鹿趣味解説もこれで最終回にしたいと思います。
もうええ。

今回はこの映画の魂とでも言うべきテーマは何か?について。
題して、

・青春とは何か?



1.「時をかける少女」のメインテーマの継承について
 正直僕ははっきり言って大林宣彦版の「時をかける少女」が嫌いです。
 世代的にはまさにそういう思春期の時期に原田知世主演の「時をかける少女」を見ました。ラヴェンダーの香り、テーマソング、ノスタルジックな映像、そして目玉!?(なんか別のイメージが混じってる気が(笑))、という強烈なイメージが焼きついて、今でもすぐに思い起こすことができるのですが、大林宣彦監督の作品ってどれもこれも

くどい

のがたまらんですねえ。大林宣彦監督はノスタルジックで幻想的な映像を撮らせると確かにうまいのですが、生理的に受け付けないというか、見てるとかゆくなります。かゆ、うま。

 ……という個人的な嗜好はさておき、旧「時をかける少女」では「ラヴェンダーの香り」でタイムリープをするんですけど、タイムリープをしてバタバタあれをしたかったこれをしたかったと取り戻すこと=青春、という図式があり、さらに飛躍すると端的に言って旧「時をかける少女」のテーマというのは

・青春とは、ラヴェンダーの香りである

だと思います。
ところがすごいことに今度のアニメ版「時をかける少女」では、

ラヴェンダーを出すことをやめてしまった。

びっくりですね。
前作のメインテーマをばっさり切り捨ててしまっているんですよ!

じゃあ、今作ではいったい何がテーマとなったのか?
それは、今度のアニメ版を観てる人にはわかると思いますが

あの抜けるように青い空と入道雲

だと思います。要するに

・青春とは、あの抜けるように青い空と入道雲である

という新たなイメージに置き換えられたというわけです。
原作から1997年のドラマ版「時をかける少女」まではひたすら愚直に

・青春とは、ラヴェンダーの香りである

というテーマが継承されてきた。それは強力な、普遍的なイメージだったためなかなか古びることはなかった。しかし今回は

・青春とは、あの抜けるように青い空と入道雲である

という全く違ったイメージに書き換えられた。旧作と今度のアニメ版をつなぐエッセンスというのは、以前までのイメージではなく

・***によってタイムリープする。***とは、その当時の若者にとって青春そのものを喚起するイメージだ

という、本質的な枠組みの継承と考えて良いと思います。これで、やっとあの古めかしい「ラヴェンダーの香り」から卒業して、新たな時代の「青春」が描けるようになったのだ。
そう思います。

2.最後の真琴が走るシーンについて
 僕が好きなシーンなのですが、映画の最後にひたすら長回しで真琴が千昭の下に一生懸命駆けていく場面があります。これがまた長い^^;。うまく乗せられた視聴者は真琴に感情移入して「一刻も早く千昭の元に駆けて行きたい!」と思ってるので、そんなに長く感じないかもしれませんが、それにしたって長いです。1~2分ぐらい1シーンでひたすら駆けてるでしょうか?

 しかし、ここでも何気なくテーマを生かした実にドラマチックな演出が施されてます。細部まで手を抜かず常にきっちり理路整然と演出を施すのが、まさにプロという感じですごいのですが、

<シーンの流れ>
 真琴が顔アップで雑然とした校舎の壁面を背景に、画面の右から左に息切らせながら駆けていくだけである。

というきわめて単純なシーン。
こういう単純なシーンこそ、編集のセンスがもろに出るのですが

1)画面の真ん中を息せき切らしながら駆けている真琴の横顔が表示される
2)右から左に走っているはずが、顔はどんどん右端に押し出されていき、やがて右端の画面外に追い出されてしまう
3)突然背景の校舎の壁が途切れ、抜けるように青い空と入道雲が画面いっぱいに広がる
4)真琴の顔が画面右端に現れジワジワ左へ進行していき、左端近くまで前進する
5)背景はやがて青空が途切れ、再び校舎の壁となる。真琴の顔そのままの勢いで左端まで進んでいき、ついに画面の左端から消える

……というシーン。ここにもメインテーマである「抜けるように青い空と入道雲」が出てきます。そして、シーンの流れを見ればわかるように

・「抜けるように青い空と入道雲」が「時をかける少女」に時をかける力を与える

という演出になっているわけです。


以上
by namizusi | 2006-08-09 09:21 | 時をかける少女


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