魂でプレイするということについて:(・_・)
まあ、この辺で「魂的」の関連でPLの志向特性に従ったキャラクターを作ることを意識するとキャラクターのバリエーションが狭くなるのでは?という話をしているのですが(と思っているのですが(笑))、実際どうなんだろうというのを整理します。
実際の感想/印象を言うと
・実際PLは毎回毎回似たようなキャラクターしかプレイしない(特に感情特性面で))
という実情があると思います。
なので、TRPGの特徴として
・架空の自分とは違ういろんなキャラクターをプレイできる
と言われることがありますが、そんなものは実情を無視した、ただの机上の空論、理想論に過ぎないと思っています。端的に言うと「建前」に過ぎないかと。
例えば主役属性で熱血系でPC1をプレイするのがうまいPLがいると、毎回毎回その人はPC1系のキャラクターしかプレイしない。脇役になったとしても熱血系であるとか主役系っぽい思考しかしない。そういう人にいざサポート系をやらせると、サポート系って表で目立ちませんが、見えないところでセッションが滞りなく進むようPC間のキャラをつなげたり、隠れた問題点をあらかじめ駆除したりといった部分で活躍するのですが、そういうところが見えてないので、そういうプレイができず結局他のメンバーにおんぶに抱っこで足手まといになるということがよくあります。
あるいは、いつもサポート系をやってる人がメイン系・熱血系をやるとうまくいかないとか、逆のパターンもありますな。
1.PLは多彩なキャラクターをそもそも演じ分けられない
と、しみじみ実感しながら思うわけです。うむうむ。ひどい人だと毎回毎回同じPC名で、同じ性格で、傲岸不遜だったりしますね。まあ、「同じようなキャラクター」であれば、世界設定とか状況に合わせて微調整・修正してもらえれば無問題なのですが、「同じキャラクター」の場合は世界観無視しようとする人もいて困りますな^^;。
まあ、演技派の役者さんとか、TRPGやってる人でも上手い人の場合には数パターンのストックを持っていて状況に演じ分けてきますが……。
しかしまあ、言いたいのは
毎回同じようなキャラクターでも別にいいじゃん
てことです。PLの演じるPCが同じでも他PLの演じるPCは違うので、メンツを変えれば違う関係性になりますし、シナリオで違う環境に変えれば違う状況になる。毎回毎回同じPCでも十分バリエーションは出せると思うわけです。
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2.キャラクターの二つの作り方とステレオタイプキャラクターについて
キャラクターの作り方には以下の二通りの作り方があると思います。
1)キャラクターの内面設定から作る
小説とかの、一昔前のキャラクター造詣というのはこれが主流だったと思います。小説に登場するキャラクターはすべて作者の人格の投影であると言われるゆえんです。
2)記号的に作る(ステレオタイプ)
設定上、こういう位置づけのキャラクターが欲しいなとか、こういうタイプのキャラクターはわかりやすくて面白いということで導入される。
ここでTRPGで特徴的だなと思うのは記号的なキャラクター(ステレオタイプ)をプレイしたいというプレイヤーが多いってことです。例えば
・ツンデレな女キャラをプレイしたい
とかいうのですな。
ところが、こういうステレオタイプというのはキャラ造詣が浅いので、決まりきったシチュエーションではレコード再生するように、お気に入りの言い回しを返すことでリアクション出来るのですが、記憶にない思ってもないシチュエーションに叩き込まれるとどう反応したらいいかわからずPLが困る。
ツンデレなキャラクターの場合、シビアなシチュエーションでツンツンしてたら周りから白眼視されるのは当たり前の話で、それでも現在ツンデレなアイデンティティを持っているということは、
・シビアな状況で白眼視されるのに耐えて生き残ってきたのだ
という背景があると思うのですが、プレイする人間はそんなことは考えていない。よく描かれる情景というのは、そういう尖った物言いをする一見嫌な奴であるが、実は内面の深いところでは良い奴であると了解されているから、尖った人を傷つけるかのような物言いをしてもそこではギャグとして受け止めてもらえる。そこに到達する以前にあれこれ山あり谷あり乗り越えてそういう落ち着いた関係になった、という経過を考えずにいいところだけを見てそれをベタにプレイしようとするからおかしくなる。TRPGのセッションではPL同士が初対面だったり、PCは設定上親しいということになっていたとしても合わせてプレイするのは初めてで、どう合わせたらいいか模索しているような状態だったりするので、そこでツンツンするような負のアプローチをすれば関係悪化するのは当たり前なのですな。
じゃあ、実際はどうすればいいのかというと、僕もよくわかりませんが^^;、例えば
・物言いは棘があるが、実は良い奴
という設定なら、「物言いに棘がある」というのは出さずに最初は「実は良い奴」という部分を出してけばいいんじゃないかと。親しくない人相手だとあまり話をしようともしないと考えられるので、何か問題があったら無言で黙々と助けに入るとか、「実は良い奴」という部分を見せてから、「ありがとう」と感謝の意を受けたところで「別にあんたのためにやったんじゃないからね!」とか「ふん!」とか、突き放す。あるいは、棘のある表現はある種、親愛の情の表現でもあるので、そもそも親しくない人には棘のある物言いすらしない。
……とか、例えばツンツンするならツンツンする「それなりの理由」があるわけで、例えば姉妹の設定の場合「姉」がツンデレ系になることが多いように思うのですが、それっていうのは、ありがちなパターンとしては親からいつも
「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」
とか何度も何度も言われて「甘えが許されない」と刷り込まれているからそういうキャラクターになったと考えることが出来ると思うのですが、だからそうすると
・いざというときには「甘えは許されない」自分で何とかすべきと考えて自分から積極的に動こうとする
とかいうプレイをするとキャラクターの掘り下げが出来て生きてくるんじゃないかと思うのですが、そういうことを考えてないとただの無責任な拒絶するばかりの嫌な奴になったりする。
まあ、だらだら書きましたが、TRPGのキャラクターの建前としての「多彩さ」というのは多彩な「ステレオタイプ」から入ってくることが多いように感じます。しかしステレオタイプなキャラクターというのは(受け止め側の印象として)造詣が浅いという問題があります。ところがTRPGのセッションというのはそういう浅い造詣だけでは終わらずにもっと深い感情特性まで立ち入ってくることがある。そこで内面の深い人格を創造してリアクションすることが必要になる状況があると思います。
で、そういう深いレベルのキャラクター創造をするには、「人間というのは複雑で多面性がある。人間関係の違いによってリアクションがどう変わってくるか?」「何故そいつはそんな人格形成になったのか?」を考慮すべきと思います。
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3.「魂的」とキャラクターのバリエーション
僕が言っている「魂的」なプレイでは
・セッションで重要になりそうな問題についてはPL自身の人格と共感するPCを作った方が良い
と言ってるのですが、逆に言うとセッションで重要になりそうでない問題についてはPLと違う設定にしておいてもいいわけです。例えば
1)男/女
2)唯一神教/多神教
3)個人主義/全体主義
4)積極的/消極的
5)利己的/利他的
6)論理的/直感的
7)アウトドア派/インドア派
8)派手好き/地味好き
9)血が好き/血は苦手
10)性的に開放的/性的に保守的
という感情特性を考えたとして、2の10乗=1024通りのキャラクターがプレイできるわけです。で、宗教に厳格な人がいて自分はキリスト教徒だから唯一神教じゃないとだめだ!と言ったところでそれは条件を1つ確定するだけなのでまだ512パターンのキャラクターがプレイできるわけですよな。
だから、「魂的」プレイを志向すると最初のプレイできるキャラクターの可能性からすると、プレイできるキャラクターのタイプは狭くなりますが、それでもある程度のバリエーションは出せる。
加えて、実際にPLがプレイできる(プレイしたいと思う)キャラクターのバリエーションって、実質せいぜい数タイプだったりする。到底512パターンも網羅してプレイするなんて考えられない。
……というわけで、「魂的」にプレイすることがキャラクターのバリエーションを狭くするというのは実際のプレイでは
まったく問題にならないと考えます。
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4.「魂的」とロールプレイング
「ロールプレイング」という言葉は非常にあいまいな言葉で、不用意に「ロールプレイングとはこういうものだ」と言い出すと、
そうでない遊び方をしている人を不当に除外することになるのでよろしくないと思います。
・とある分岐でPLは普通に考えるとAを選択するが、PCの設定から言うとBを選択するのが妥当
という状況があるとします。「魂的」でないプレイの場合は
・Bという選択に変える
・PCにはさまざまな事情があってそのときは特異的にAを選んだのだ、と説明を作る
というような遊びをすることになります。そうすることで「自分とはこういう奴だったのだ」という発見があると思います。
しかし「魂的」なプレイの楽しさはそこではなくて、
・そもそもとある分岐でAという選択をするということに、PL自身がその場になってみないと気付かない。そこで初めて「自分はこういう奴だったのだ」と気付く
という点です。
例えば
・自分にとって大切な人が死んでしまう。しかし自分の持っている何かを代償にすればその人の命を救うことが出来る
という状況を事前に説明すると、大体どの人も
・自分の持っている何かを代償にして大切な人の命を助ける
と言うのですが、実際にプレイすると
そういう選択を選ぶとは限りません。そこで初めて、「大切な人の命を助ける」というよりも大切な何かを持っている自分というものに気付くわけです。
「魂的」なプレイには、そういう意味での自己発見の楽しさ「自分自身をロールプレイする」という楽しさがあると思います。
以上