反省会の意義:(・_・)

http://d.hatena.ne.jp/akito_lightly/20070412

これを見て。



個人的には、別に反省会をしたいとかそんなことはまったく思っていない(FEAR系のシステムだと「アフタープレイをしましょう」と書いてあるが、実際やってるかどうか大変疑わしい、という話はあるにはあるが)。が、セッションで気になったところ、問題になったところは言って欲しいというのはある。

人が今回のセッションを踏まえて次回により向上したプレイをしてくれるであろう、なんてことはまったく期待してないし、実際多くの人間は何度やっても何度やっても何度やってもプレイが向上せず、毎回面白いように同じ趣向の罠にさっくりはまってくれて、笑えてしょうがないのだが、それはさておき、「人の振り見てわが身を直せ」というように、自分自身のプレイを改善したいと思っている人間にとっては、反省会はそれなりに面白いし、明確に反省会という形式でなくても、セッション中に気になった部分についての意見なり感想が拾えると有意義だとは思う。

例えばPCがどうしようもない窮地でとんでもないミスを犯してあっさり敵に殺されて死んでしまった、という時でも、事前にもうちょっと慎重に動いていれば何とかなったかも、と考えられるようになるか、毎回毎回同じような罠にはまって起き上がりこぼしのように死に続けることになるか、そこら辺は「向上心」のあるなしが大いに影響する。

あるいは戦術的な向上を目指さない(目指せない)場合でも、どうしようもなく救いようがない状況で、演出によってそれを「美しい物語」にしたり、何らかの「救い」をもたらすものにしたり、という「演出能力の向上」という方向でよりセッションを面白くする余地はいくらでもあるのだが、そもそもそういう状況でふてくされて何もしないPL(実によくいますな(笑))とかの場合には得られるものはないであろうが、それはそれとして受け入れて、そこからよりましな方向を目指そうという「大人な」スタンスを持った者からすればどんなにひどい状況でも「こうすれば多少はましになるかな」という意味での向上はある。

まあ、TRPGなんかをやってる人間のメンタリティとしてそういう「大人な」感性を持てているかどうか、大変疑わしい気がしないでもないのだが。

……というような個人的なスタンスから、上記の記事を分析してみたのだが

>1. セッションに問題点がある
>2. 問題点が提唱者に認識される
>3. 問題点がグループ内で共有される
> * グループのメンバーにも同じ問題点が認識されている
> * 提唱者がグループ内に共有できるように問題点を提示する

→ここはそもそも「グループ内で共有しよう」なんて思いもしないかな^^;。自分にとっては、問題点が条件を含めて明確化すれば対処法を考える有効な材料になると思うのでそれで十分と考える。ほかの人がどうなのかは知ったことではない(笑)。

>4. 問題点の対処について対話が行われる

→これは、対話をしたい人がいればするけれども、いなかったらしないような。「何らかの問題が一部あったが、全体としてとても充実したセッション」でこそ、よりいっそううまくやるためにこういう対処法ができたんじゃないか?とか、ここでこういう別の対処をしたらどうなってたんだろう?という対話が行われることが多いように思われます。

>5. 対話の中で解決策が発見される

→上記と同様。うまく行ったセッションほど、さらにより良い解決案が出てくる。

>6. 解決策が問題人物に受容される

→上記と同様。うまく行ったセッションほど、「こうすればもっと良くなったんだ!」と受容される。

>1. 長時間のセッションによる疲労

→うまく行ったセッションだとハイになってて疲労を忘れてますよな。

>2. 問題点を解決することへの動機付けの不在

→個人的には、常に次回のセッションは今回よりもより良い最高のセッションをしたい、と思ってるので動機付けは十分なのですが、ほかの人にとってどうなのかはどうなんでしょう。どうでもいいですが。しかしまあ、上記に書いたように「全体としてうまく行った、しかし一部何とかできたんじゃないかという問題意識がある」というときには「どうしたらあそこをよりうまくこなせたかな?」という向上心の動機付けはできるように思います。

>3. セッション内容についての客観的根拠の不在

→客観的根拠なんて不要だと思うんですけど、少なくとも一人で抱え込んで考えるよりもプレイしたメンバーで話し合った方が比較的客観的な観点というものを得られるように思います。あと経験豊富なベテランと言えるような人間がメンツの中に2人以上いるとか。この場合、ベテランの間での認識のすり合わせの中で比較的客観的な見地を得られるように思います。

そんな感じで。
まあ、まとめると

1.うまく行かなかったセッションで反省会をしてもうまく行かないだろう(そんな経験はほとんどないのでよくわかりませんが(笑))
2.一部薄氷を踏むように上っ面だけうまく行ったかのように思われるセッションで反省会をするとぼろが出てよろしくないだろう
3.ものすごく盛り上がって充実したセッションだったが、一部「何とかできたことがあるんじゃないか」という気になるポイントがあり、複数人で共通的に「問題だ」という認識があるときは議論は有意義に働く

という感じじゃないかと思います。
最近のシステムないしセッションでは体裁を繕うことに終始して無難に収めることに主眼があるため、そういうところでは「反省会」は有効に働かないが、どこかほころびがあったとしても部分的にめちゃ爆走して笑えるセッション、というような方向性ではわりと有効に働くと思います。

http://johanemiranda.blog89.fc2.com/blog-entry-7.html

ここなんかの意見に近い感じですかね。

ただまあ、セッションの「成功感」とでも言うべきものがあって、これぐらいの分量の成功を収めた、という充実感のようなものがあるのですが、それをぶち壊しにするほどの指摘は避けた方がいいかなというのはあります。本筋は変えずにほんのちょっとここを何とかしてたらもう少し面白くなったかも。そういう指摘ポイントを探すといい反省会になるでしょう。(昔、普通以上に結構盛り上がったセッションなのに、やりすぎてしまって意気消沈させてしまったことがあります。すみませんでした^^;)

ポイント1:成功したセッションほど反省会に耐性がある
ポイント2:成功した本筋は認めること。その本筋を変えない範囲で、もうちょっとこうしたら面白くなったのではないか?という反省材料を見つけて議題とする。

人の作品を見せてもらって批評する場合でも同じですね。

・まず相手が何を持って面白くしようとしているかという「本筋」を拾うこと
・その中でうまく行っていた部分について褒める
・「本筋」をより強化するにはどう改善点があったかを指摘する

という感じ。TRPGの場合、そのセッションの「本筋」は何になったのか?各PLのプレイしようとしていた「本筋」は何だったのか?をよく注視して拾う必要がありますが。精進してくだされ。

反省会というのは誰か問題があった人に反省させよう、というよりは、「自分が反省するために行うものである(次回以降の向上のために)」と考えるとよろしいかと思います。んで、人のことについてはいかに「本筋」を拾えるかどうかが重要かと。「本筋」が拾えなければ有意義な反省は行えないし、それ以前に拾えない自分自身を反省すべきと思いますね。

「本筋」が読めてないってことは、そのセッションが何だったのか全体として理解してないってことだし(いったい君はそのセッションで何をしてたんだ?)、他のPLの「本筋」が見えてないっていうことは、「その人とまともにコミュニケーションしてない」ってことですしね。TRPGって「コミュニケーションの遊び」といわれますが、要するに「君はコミュニケーションも何にもしてない。TRPGという遊びを遊んですらいないってことだ」というわけで。面白いなあ。

んでわ
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by namizusi | 2007-04-13 22:37 | TRPG


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