紙魚砂的反省会?のやり方:(・_・)

正直「反省会」の話はずっと気になってはいたのですが、今までゴールデンルールの内容があまりにひどくてそちらの指摘に終始していたため、保留にしてました。が、そちらも落ち着いたようですし、ちょっと話題になってきたようなのでまとめてみる。

・実例?
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/cgame/1167149151/844-

ちょっとメタ入ってますが。ここを見ると、反省会というものをやるとどれだけぐだぐだになるか良くわかって面白いですな。



0.参考記事等
 以下を参考とします。

・「成功」で分かれる三世代
http://www.rpgjapan.com/kagami/2006/10/post_5.html

・誰でも楽しめるセッションのやり方(3):(・_・)
http://simizuna.exblog.jp/6048172

・殴り合う卓上RPG論
http://www.rpgjapan.com/kagami/2007/04/rpg_1.html

・反省会はまわる。ぐるぐるまわる
http://d.hatena.ne.jp/akito_lightly/20070412#p3

・反省会の意義
http://simizuna.exblog.jp/6729424/

・本当は皆できる、そして反省会は楽しい
http://www.rpgjapan.com/kagami/2007/04/post_58.html

・天羅WAR p.243より引用
>ディスカッションはした方がよい。だが、反省会はしない方がよい。意識的にセッションの楽しい思い出を話し合おう。反省会と称してネガティブな感想を引き出してしまうのは考え物だ。注意すること。

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1.「反省会」というネーミングの是非について
 「反省会」というネーミングについてはいまいち行けてないんじゃないの?という感想があります。というのは、「反省」するっていうことは、(何かの基準に照らし合わせて)「悪いプレイ」があったということをあぶりだそうとすることになるからですな。

 しかし、実情としてTRPGのセッションで「悪いプレイ」をあぶりださなくちゃならないかというと、金をもらってるわけでもなし、そもそも同じメンツとまた遊ぶかどうか不確定だし、そもそもTRPGのセッションでは何が成功で、何が失敗なのかが不明確なので、反省しようにも基準がよくわからないという事態もありえる。

 ただ、TRPGの発展?に関して「基準」が明確化/変化してきた経緯は存在していて、以下のようになっているようですな。

・「成功」で分かれる三世代
http://www.rpgjapan.com/kagami/2006/10/post_5.html

・誰でも楽しめるセッションのやり方(3):(・_・)
http://simizuna.exblog.jp/6048172

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1-1.成功も失敗もないセッションでの反省会の意義
結論:ない

 昔の「成功も失敗もないセッション」の場合には、そもそも基準がないのだから反省しようにも反省しようがないという懸念がある。きっと鏡氏は今は成功も失敗もないセッションとは違うセッションをされてるのでしょうなあ。

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1-2.私的な成功/失敗のみ存在するセッションでの反省会の意義
結論:問題点さえ明確化されれば良い
 次に「誰でも楽しめるセッションのやり方(3):(・_・)」で書いた僕の考えだと、セッション全体としての成功失敗はないが、PC/PL/GM個人個人の私的な目的というのは当初から存在していたと捉えているので(それは今でも変わらないが)、PL/GMが個々人で私的な問題点を洗い出して自分自身への対策方法を考えるため、反省をするというのはありえる。

 ただこの場合は主題としては「問題点を洗い出す」までが反省会の目的であって、「解決方法」は、自分の問題である以上自分で考えるしかないため、反省会で話し合う意義はないし(参考意見を聞く意義はそれなりにあるが、それはあくまで「参考」以上のものではない)、「問題の責任者」はこの観点では常に「自分」なので、これを追求する意義もまったくないということになる。

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1-3.ミッション成功を主体としたセッションでの反省会の意義
結論:解決法まで考える必要あり
 ウォーゲーマー派の人なんかがこの辺の最適化を求めがちと思う。「***が問題だ」と人を特定するところまでは走らないかもしれない。客観化してデジタルに他のPL/PCを「状況」と割り切ることができているのであれば。

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1-4.セッション成功を主体としたセッションでの反省会の意義
結論:責任者まで考える必要あり?
 最近のシステムで「反省会の禁止」を敢えて声高に言わなくちゃならなくなった要因は「セッション成功」なんてよくわからない目標を目標としなくてはならなくなったせいであろうと思う。これを目標とすると、「***がこのセッションは楽しくなかった」とか言い出すととたんに失敗になってしまうため、「反省会」をやりだすと原因追求しなくちゃならなくなる。「***のせいで楽しくなかったのだ」とか。最終的に問題児を摘出するか、楽しめなかった当人を問題児とするかの2択で決着が付くがこれは確かにやっててすげー不毛で詰まらんよなあと思う。

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1-5.天羅WARの記述について
 まあ、「ディスカッション」と「反省会」の違いが何なのかよくわからないのだが古式ゆかしい言い方だと「感想戦」とか。1-4の問題があって反省会をやってしまうとぼろが出てしまうので、敢えてやらないことを推奨してるのだろう、と。

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2.紙魚砂的「反省会」の目的
 上記で書いたが

・問題点を洗い出せればよい

である。

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2-1.「解決方法」についての議論
 基本的に不要であるが、参考意見として「こうしたら良かったんじゃない?」という意見が出るのは良いと思う。「こうしなくてはならない」はやめた方が良いと思う。というのはTRPGで発生する問題というのはPCにとっての問題であれ、PLにとっての問題であれ、セッション上の問題であれ

・唯一無二の正解なんて常に存在しない

からである。

 で、何か解決方法を思いついたのであれば、反省会でそれを開陳するよりも実際のプレイで実践して見せた方がずっとましかなあというのもあり(話題に出せばほかの人がやってくれるかも知れんけど)。また、その日の感想戦で解決方法が出なくても、後のプレイのときまでに熟成してましなリアクションができるようになればそれで良いんじゃないかと思うのだが。

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2-2.問題点の共有と「問題児」の特定について
 仕事の場合であれば、金をもらってるし、ましてや自社製品として売り出して問題が出ました、というときにはきっちりと責任の所在をはっきりさせ、対策を明確にしそれを実施する必要がある。ただ、そういう会議をやると問題の人間を吊るし上げてそれだけに喜びを感じる「ゴミクズ官僚型人間」がよくいて、そういう奴がいるとちっとも話がまとまらなくて困るのだが、話をまとめるには

・とりあえずどんなに問題がある人間が特定できても、「たとえその人が不手際を改善したとしても、それは実際起きた以上常に起こりえる不手際である。よって自分自身の立場で何かフォローできたのではないか?そのフォローを怠った分自分にも幾分の問題があったのではなかろうか?」

という感じに、最終的には常に「自分の問題」として捉え、自分の立場で対策を考えることで初めて「反省会」として完遂することになる。TRPGというのは常にそのセッションに参加した人間全員の共同作業である以上、

・何か問題が起きたら、常に参加者全員に問題の責任はあるのだ

そういう観点に立てなければ、まともな「反省会」をすることはできない。

 しかし日本人はこの辺の割り切った議論の仕方をちっとも教育されてないので、常に「自分に問題はない。***のせいなのだ」という感じに責任転嫁したり「自分に問題があったのは認めるが、***も問題があったのではなかろうか」という感じにはぐらかそうとして却って問題を混迷化させる。

 まあ、逆に言うと上記の詭弁めいたテクニックを弄することで議論をぐだぐだにすることができるのだが(笑)。

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2-3.感想戦での話しの振り方
・反省会の意義
http://simizuna.exblog.jp/6729424/

 こちらのコメントを見ると「反省会」だと声の大きい人が一方的に言いたいことを言って終わるみたいな感じに見えるのだが、僕のやり方だと「そもそもそんな話の振り方を反省会でするわけないじゃん」と思う。「反省会」とか「感想戦」とか「ディスカッション」とかいうものは僕の感覚ではあくまでセッションの延長だと思っているので、バランスを期すために

・セッション中で一番割りを食った人にメインに話を振る

んですよ。なので大きい人が一方的に言いたいことを言って終わるなんてのはありえん^^;。

 TRPGのセッションでは必ずしもバランスよく全員の欲求を満たしたセッションをできるわけじゃないので、プレイ後の感想戦やディスカッションや反省会で満たされなかった分を拾うんだ、と思っています。

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3.まとめ
 まとまっているか謎。

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3-1.「うまく行ったセッション」とは?
 1-2で書きましたが「PL/PC個別でやりたいことがある程度充足されたセッション」ですかね。僕がセッションをやる場合、これをメインにすえるため、「ミッションが成功したかどうか」とか「セッション全体で参加者全員の意識として成功したかどうか」は捨ててます。なので「一部のPC/PLの要求を満たしているが、ミッションは失敗した」というのは日常茶飯事として存在するので、「***すればミッションも成功できたのではなかろうか」「***すれば他のPC/PLの要望も拾えたのではなかろうか」という部分失敗に対して「こうしたらさらに改善できたのではなかろうか」という論が発生します。
 そういう問題があっても「少なくともPC/PL-Aの目的はみんなの協力で達成できたのだ」という成功感が充足されてるため、ほかのうまく行かなかった部分が話題になってもあまり苦にならないというか。

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3-2.「反省会」とは何か?
 結局よくわかりませんでした(笑)。
 僕のプレイの仕方では、根本的な目的設定の思想から行って、参加した人間が個人的に聴取するのも反省会のひとつとして捉えるべきである、と思います。成功失敗反省はあくまで「個人」の範疇のものである、と捉えていますので。

 あと、アキトさんの論では「全員で問題点を共有し、問題箇所を特定し、解決案を導き出す」のが目的と捉えられているようですが、僕の考えとしてはその基本的な考え自体が反省会を後ろ向きで停滞したものにしてしまうと思います。「全員で問題点を共有し、問題箇所を特定し、解決案を導き出す」というプロセスを経るにしても結局

・何か問題が起きたら、常に参加者全員に問題の責任はあるのだ

という個々人の問題として捉えられる見地までたどり着けないならやる意味はないと思います。で、多くはそこまでやる意義はないと思います。それでも敢えてやるならそこまでとことんやるべきかと。

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3-3.問題であることが明確化されるだけでも強烈な効果がある
でまあ、結論が出なくても、「問題」が摘出されるだけでも大きな進歩だと思うわけです。自分はなんとも思ってなかったが、ほかの人は問題だと思ってることが分かるだけでも大きい。問題であることを自覚しなければそもそも対策しようとすら思わないわけで。精神病の用語?で言うと

「病識を得る」

とか言いますかね。自分が病気であることを自覚しないとそもそも治療すること自体不可能。そんな感じ。「ビューティフルマインド」なんか見てみるとよくわかるでしょう。
最近流行り?の「中二病」みたいに「病」という文字を使われると多分に偏見が混じるので嫌なんですけどねえ。たとえが悪くて申し訳ない。
金澤尚子の「ぴよぷー本舗」でストーカーみたいにあとをつける参加者がいて気味悪がられたので、対策でそういう行為はやめましょうというビラを貼ったらぴたりとやんだ、という話が出ていたのですが、それも似た感じですかね。問題であることが明確化されると抑止力が働くようになるという。


んでは
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by namizusi | 2007-04-15 14:01 | TRPG


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