FEARゲームの功罪分析(1):(・_・)

……つーことで第1弾。
「公正に」とか前に書きましたが、無理なので(笑)色々偏見が入り混じります。適度にフィルターをかけて見るようにしてください。まあ、可能な限り公正に判断してみようと努めますが。

また、FEARゲーと言ってもそれによってもたらされたものは大量にあるので、気になったところをピックアップして分析する方針で。

全体的な概観としては

・「テクニック」を「ルール」にしてしまったことによる功績と、惨事
・強烈過ぎるルールによる多大なメリットと惨事
・強烈過ぎるルールが組み合わされたときのことを考慮してないことによる惨事
・価値観のずれによる齟齬

といった観点による分析をしようかと思います(どこが公正なのかよくわかりませんが(笑))。

で、個別のルールに対する各論に入る前に「FEARシステムを批判する前に、全てのTRPGユーザーは自省すべきだと思う」http://d.hatena.ne.jp/hige_gun/20070523/1180699190の記事を公正に分析しようとすることから始めてみようかと思います。



さて、上記の記事の主旨はこんな感じと思われます。

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1)主張:『FEARシステムは、PLやGMを救済するために生まれる必然のあったシステムである』

2)FEARシステム以前の問題とFEARシステムでの対策
2-1)1~3人のベテランが話を進めるから、ワシが口を出す隙なんかない。
 →シーン制の導入で、素早い判断ができない人でも会話のイニシアチブを取れない人でも最低限、発言の機会が与えられるようになった。

2-2)でしゃばりPL
 →シーン制の導入で、素早い判断ができない人でも会話のイニシアチブを取れない人でも最低限、発言の機会が与えられるようになった。
 →また、シーンPL制は、でしゃばりPLや吟遊詩人GMを黙らせることに大きく貢献している(シーンへの登場権はシーンPLが持っていることが多く、PLからシーンを提案することで吟遊詩人GMの計画を崩すこともできる)。

2-3)吟遊詩人GMによるオンステージ
 →シーン制の導入で、素早い判断ができない人でも会話のイニシアチブを取れない人でも最低限、発言の機会が与えられるようになった。
 →また、シーンPL制は、でしゃばりPLや吟遊詩人GMを黙らせることに大きく貢献している(シーンへの登場権はシーンPLが持っていることが多く、PLからシーンを提案することで吟遊詩人GMの計画を崩すこともできる)。

2-4)延々と繰り広げられる、細かいルールに対する議論。
 →ゴールデンルールは、ほとんど不毛なルールの議論の抑止力となりうる。

2-5)初めてのルールでPLやってて、セオリーから外れていたり間違った行動を取ると、親の仇のように指摘して「勉強しろっ!」と言うとか。
 →対抗策なし。むしろ最近は「リプレイを勉強しろ!」とか言われる?(笑)

3)FEARシステム的セッションの成功観
 FEARシステムは、これまでのTRPGの現場で起こっていた問題に対する1つの解決策、または保険なのだ。「FEARシステムはPLを信用していない」というが、好みや思考パターンや知識量を知り尽くしている者同士ならともかく、たとえばコンベンション等でほぼ初対面状態の参加者を信用などできない。もし彼ら(彼女ら)の発言や行動ひとつで、セッションが崩壊し、その後の時間がつまらなくなることのほうが問題だ。他の娯楽に比べて負担の大きいTRPGで、そのような問題が起こってはならないのだ。FEARシステムは、そうした“最悪の事態”が起こらないよう、システムやルールで事故る確率を減らし、最低でも『楽しいまではいかないが、つまらなくはない』状態まで持っていくことに成功している。

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1.「シーン制」「ゴールデンルール」の功罪
 まず、2)の辺の「シーン制」「ゴールデンルール」について。

1-1.「ゴールデンツール」について
 「ゴールデンルール」については、FEARゲームの昔からある主張のベーシックで頓珍漢な矛盾として、「強烈過ぎるルールによる多大なメリットと惨事」というものがあります。端的に言うとゴールデンルールって「2-3)吟遊詩人GMによるオンステージ」を促進させるんですよね。対策が対策として機能していない。「2-4)延々と繰り広げられる、細かいルールに対する議論。」の抑止にはなるが「2-3)吟遊詩人GMによるオンステージ」はむしろ助長させる、という特徴があり、まあ確かに特定局面には特効薬的に強烈な効果を表しますが、同時に激烈な副作用もあると。
 まあ、最近になってやっと多少改善されつつあるようですが。
 典型的な

・強烈過ぎるルールによる多大なメリットと惨事

の一例と言って良いと思います。

1-2.「シーン制」について
 次、シーン制およびシーンPLの権限による恩恵(シーンへの登場権はシーンPLが持っていることが多く、PLからシーンを提案することで吟遊詩人GMの計画を崩すこともできる)について。この話についてはずいぶん昔に議論になり、感慨深いものがあります。

step1.
FEARゲームでシーン制が声高らかに主張される前、でしゃばりPL対策のためにシーン運用が大変重宝していた。それはシーンによるPC/PLの隔離が出来たからである。

step2.
ところが「登場判定」によってせっかくの隔離テクニックがぶち壊しに。PC間対立、PK上等セッションがほとんどゲームとして遊べなくなり、壊滅状態になるという警鐘が奏でられる

step3.
何とかならんものかと、そういえばシーンPLという制度があったんで、シーンPLが都合が悪ければ登場拒否すればいいんじゃない?と、わしが提案

step4.
そんなことされたら暴れる!とN◎VAゲーマーに脅される(笑)(原理主義者は怖い怖い)

step5.
DXが登場し、初の試みとして登場判定の抑止がされる。その後のシステムもそれに習ったかのように抑止が標準化

……というようないきさつで今のような状況になったと認識してます。と言うわけで、個人的に、初めてシーン運用をルールとして組み込もうとしたときに、改悪してしまったのを自己フォローしただけじゃない?という認識なんですがどうなのか(笑)。まあ、最終的にまともな状況で落ち着いたようなのでいいですけどね。

 ということで、シーン制についての問題は

・強烈過ぎるルールが組み合わされたときのことを考慮してないことによる惨事

に分類するのがよろしいかと思います。

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2.価値観のずれによる齟齬
 で、上記の3)の意見は結局「PLのことを信用してない」というのを明らかに認めた発言で、まあそれはそれでひとつの考え方としてありなんじゃないかと思います。僕は好きじゃないですけどね。実際のセッションでは、例えば95%の人間は信用できると思うんですよ。5%の人間は会話が出来なかったりして問題が発生することがある。その5%に備えて常に「信用しない」を基本スタンスとするか、95%の人のために多少リスキーだが「信用する」を選ぶか、という基本思想の違いのようなものだと思います。性善説と、性悪説みたいなもの。

 んでまあ、個人的な意見としては『楽しいまではいかないが、つまらなくはない』は、すでに僕的に失敗セッションなので、どうせ失敗なら最初から「信用する」にしておいた方が成功率が上がっていいじゃんと思うわけです。失敗は失敗でそれなりに面白く学ぶものがありますしなあ。むしろ失敗した方が得るものは多いような。

この辺の話が

・価値観のずれによる齟齬

に相当します。価値観が合わないことによる根本的齟齬。

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 で、最後に『FEARシステムは、PLやGMを救済するために生まれる必然のあったシステムである』については、必然はあった。過ちは多々。現在鋭意改善中。な、ような状況と思います。ただ、基本思想が偏ってるのでどこまで改善しても100%にはならないだろうなと思います。各種テクニックの宝庫になってくれるだけで有意義ではありますが。
 何か、文句言ってると時々刻々とシステムが改善されてくのは素晴らしいと思っています。


……という感じで分析するというより個人的意見を述べる感じになってしまいました(駄目じゃん(笑))。
まあ、あちらの意見に対してこういう対極的意見もあるということで。
続くかどうかは謎。


<残件>
・「テクニック」を「ルール」にしてしまったことによる弊害
・ブレイクスルーは何の役にも立っていない
・プレイヤー経験点の無意味さと、有効ポイント
・コネ/ライフパス/PCナンバー制度
・PCが死亡しなくなったのは素晴らしい
etc...


んじゃ
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by namizusi | 2007-06-11 01:19 | TRPG


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