TRPGの「楽しさ」を定量化してみる(1):(・_・)

前回
http://simizuna.exblog.jp/9556586/
TRPGは協調戦略ゲーム的であるという仮説与太話を書いたので、その補論を。

まあ

「TRPGは悪意に弱い」

とよく言われますが
協調戦略同士の中に一人非協調戦略なプレイヤーが入ると
一人総取りで他のプレイヤーが酷い目に遭うという法則がありますが
その辺もゲーム理論的だなあと思います。

逆にPARANOIAやとらぶるエイリアンずなんかは
非協調戦略ゲーム的かなあと思うんですけど。
ある意味TRPGの特異点かと。



1.前置き
 協調戦略ゲームの特徴は、参加者同士が良心的に協力し合い、互いに最大効率で最大利益を得ることを目指すゲームとなります。TRPGの場合利益とは「楽しさ」ってことにしましたので、互いに最大効率で最大の「楽しさ」を得ることを目指すゲームとなりますかね。

 ただ、この論で問題なのはそもそも

「楽しさ」

って最大とか、最小とか量的に測れるものなのかどうかという部分です。量的に測れないとゲーム理論的に戦略の効率化が計れないので、どうでも良くなるというか。ゲームとして機能しなくなるというか。

 まあ、よく思考停止しそうなところではありますが、
 僕の意見としては、定量的に計ることは可能だと思います。

 楽しみの中身(例えば萌えキャラがいさえすれば後はどうであってもOK!とか)については、確かに価値観の多様化で汎用的に何が楽しいかを測定することは困難だと思いますが、もっと外枠のこれがないと土台レベルで楽しさを感じることが不可能な条件があると思います。

 必要条件・十分条件という観点で言うと

・『これがあれば確実に楽しい』という楽しさの「十分条件」は、価値観の多様化によって汎用的条件を規定することが困難。
・『これがないと確実に楽しくない』という楽しさの「必要条件」は、汎用的条件を規定することが可能っぽいように感じる

ということが言えるように思います。

 ただ、この条件だと、

・「楽しさの「必要条件」」を定量的に計り、たくさん得られたからと言って実際のセッションが楽しくなるとは限らない

という問題があります。しかし、これは得られる利益を『お金』に置換しても同じかなあと思います。

 汎用的に、協調戦略ゲームというのは結局のところお互いが気分的に幸福になることを目指して最適化を模索するゲームであると考えることが可能と思いますが、こう考えた場合、A社が100億円得て、B社が10万円しか得られなかったからといって、A社が圧倒的に幸福かと言うとそうとは言い切れない。得たお金を有効に幸福に繋がるように使えて初めて幸福になれる。得られる金銭的利益の多さというのは、選択肢を増やすだけのことであって、幸福の総量自体を増やすわけではない(たぶん)。

・『幸福の「必要条件」』=お金を定量的に計り、たくさん得られたからと言って本当に幸福になれるとは限らない

という感じに、同じですなw。

 というわけでまとめると。

1)「TRPGの楽しさ」自体を定量的に計ることは困難だが「TRPGの楽しさの必要条件」を定量的に計ることは可能である、と推測する

2)「TRPGの楽しさの必要条件」をたくさん得たからといってTRPGのセッションが本当に楽しくなるかどうかは不定である。得られた必要条件をうまく楽しさに変換できるかどうかを問われる。「TRPGの楽しさの必要条件」をたくさん持っていると楽しむための猶予や選択肢が増えるだけのことである。

3)しかしそれは、「利益=お金をたくさん得られたからと言って幸福になれるとは限らない」の理論と同様のことである。で、「お金を得る」は協調戦略的ゲームの利益を得る例として明確に使える以上、「「TRPGの楽しさの必要条件」をたくさん得ようとする」も利益追求の一環としてゲーム理論上の「利益」として扱うことが可能である

と考えられると思います。とても詭弁くさいですが(笑)。


step1.「楽しさ」自体を得ることをゲーム理論的に遊ぶことは難しいが、「楽しさを得るための必要条件」を得ることをゲーム理論的ゲームとして遊ぶことは可能

step2.獲得した「楽しさを得るための必要条件」を有効活用して楽しいセッションに出来るかどうかはプレイヤー次第。あとはがんばれ


ということで、次回は定量的に量れる「TRPGの楽しさの必要条件」とは何か、について解説しようかと思います。気が向いたら。
んでわまた
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by namizusi | 2008-09-25 02:59 | TRPG


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