2004年 11月 15日 ( 2 )

クトゥルフ神話TRPG-早すぎたシステム

 クトゥルフ神話TRPG(当時は「クトゥルフの呼び声」)が初めて邦訳されたのは1986年頃であったろうか。20年近く前になる。D&DもしくはD&Dライクなシステムが世間を席巻していた頃に出たクトゥルフ神話TRPGは異彩を放っていた。というのも

「戦えばすぐ死ぬ。調査をしようとすると発狂する。キャラクターはほとんど成長せずむしろ正気度が減少して破滅する方が早い。こんなTRPGいったいどうやって遊ぶんだ?」

という、今見ると鼻で笑ってしまうようなちゃんちゃらおかしい不当な評価が主流であったからである(鵜呑みにしないように(笑))。例えば当時の典型的なプレイ風景が以下のページにある

http://www.trpg.net/user/akagane/no/no_n8.html

キャラクターがすぐ死んでしまうので、プレイする人間は生き延びるために工夫を凝らした。

・目星はなるべく低くする。気が付くとろくなことがない
・INTはなるべく低くする。理解してしまうとろくなことがない
・POWはなるべく高くする。どうしようもなかったときにも何とか耐えれるかも
・回避は可能な限り上げる。攻撃が当たると死ぬ。
・サブマシンガンを持つ

こんな感じ。確かにこうすることで生存確率は上がるが、それで面白いのか?という大きな疑問が発生する。当時はそれが面白いと思っている人間が多数いたのだ(笑)。
[PR]
by namizusi | 2004-11-15 17:15 | TRPG

クトゥルフ神話TRPG

 クトゥルフ神話TRPGのキャラメイク&シナリオ導入をした。今回、コンピュータのことをよく知らずオンラインセッションは初めてという人がいて面白かった。新鮮だw。(TRPGは1年くらいオフでやってたそうな)

 今回のシナリオはオマージュ的なシナリオで、意図的にかなりベタに分かる人ならわかるネタをいくつもそのままぶち込んであるのだが(そこでお約束に行くと見せかけてひねるのがいいのだw)、今回は分かる人ばかりのようでやれやれである。歳は取りたくないものだ。

 セッション後にその初めての人が「すぐにキャラにみなさん入ってすごいですね」と言っていたが、微妙であるw。「キャラクターに入る」というのはTRPG演技する上で有用ではあるのだが、あくまで副次的な瑣末事でしかないというのが僕の長年の見解だからである。演技してせりふをすらすら言うなんてことなんてまったくできなくても、いい演技というものはできるし、いい演技なんかする暇があったらその前にいかにしてセッションを円滑に進めるかに留意した方が良いと思っている。「キャラに入って演技する」というのはあくまで枝葉末節の小手先のテクニックでしかない。

 その話の後で「掛け合いが長引かないように考慮して短くまとめるといい」という話が出ていたが、これも微妙でw、これも同じく小手先のテクニックだなあと。本質じゃない。たとえばキャラクターの設定を消化しきらずに時間が押しているから短くまとめて終わらせましたなんていうのは僕に言わせればプレイヤーのプレイング失敗である。キャラクターの設定を考えたなら、それをある程度の形に表現して見せないと意味がない。

 で、結局本質的に何がプレイヤーにあるといいと僕が思っているかというと

・PC自身の物語に対するビジョンをプレイヤーが持つこと

である。具体的に言うと

1)PCの設定を表明してみせる
2)GMによって提示されるシチュエーションに合わせてPCの目的を設定する
3)目的に沿って行動する
4)行動の結果を受け入れて何らかのリアクションをする

という流れを常に意識してプレイしてくれるといいかなと。こういう流れを意識してくれれば適切なタイミングで適切なせりふを言ったり出来るようになる。ここのせりふや演技がうまいかどうかなんてのは瑣末事で、タイミングが重要なのだ。で、こういったPCの話の流れをきちんと消化しきらずにただ小手先で「短くする」というのも本末転倒で、PCの設定でこれを消化しきらないとキャラが立たない、という最低限の要件があるので、そこはPL側から主張して演出する猶予を確保すべきと思う。

 その辺はあくまでPLの分担すべき領域と考えてるんで、僕がGMのときはフォローしないでやる気のない人は切って捨てるけどねw。

 まあ、そんな感じ
[PR]
by namizusi | 2004-11-15 12:53 | TRPG