2005年 01月 02日 ( 3 )

最近観た映画

・「バッドサンタ」
 タイトル通り悪いサンタの話ですw。わりと地味だけどしみじみ面白かったという感じでしょうか。ふむ。

・「カンフーハッスル」
 観ました。アクションはすごいです。ギャグもけっこう笑えました。観客の笑い声が絶えないという感じでしょうか。ただやっぱり外国映画なので笑いのポイントが微妙にずれてるというのと、痛い表現が外国映画のせいか日本の感覚より痛々しくて僕にはちょっときついなあという部分も少々ありました。

 あと前作「少林サッカー」の場合、少林寺なのに、なぜかサッカーというギャップが面白かったのですが今回はそういうダイナミックなひねりはなくて、割と普通の王道カンフー映画という感じでした。

 話の舞台の世界の泥臭いゴミゴミしてせせこましい感じがサタスペっぽくてあれはすげーいいなあって言うかサタスペやりたくなってきたのだがw。サタスペだとああいうド派手なアクションが出来なさげなので扶桑武侠演技でやったらうまく映えるだろうに~という感じでしょうかね。

 とりあえずケラケラ笑えたので満足かなw。
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by namizusi | 2005-01-02 23:37 | ストーリーメディア

オブジェクト指向シナリオ(6)「独立性」についての補足


 最終回と言っておきながら重要なことを書き忘れていたので追記する。今回説明するのは「独立性」の問題である。

 これまで「インタフェース」を明確に指定すべきである、とか「独立性」を高くするべきであると散々言ってきたように思うが、オブジェクト指向の世界ではごく当たり前の話なので説明し忘れていたw。ということで解説する。

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1)影響範囲を局所化する
 プログラムの世界で「独立性を高める」というのはどういう意味があるかと言うと、例えばバグが発生した場合に「その処理はこのクラスで行っている処理なのでこのクラスだけ修正すればいい」とか、仕様変更が発生した場合に「その機能をまとめているクラスはこのクラスなので、このクラスのインタフェースを修正すればいい」というように、何らかの変更が発生した場合に、すでに作成した特定のクラスのみ修正すれば対応できるようにうまく設計されていることを、オブジェクト指向では

・独立性が高い

という。逆に「これこれこういう仕様変更が発生したよ」というときに「その辺の操作をしている箇所はいっぱいあるので検索して全部修正しないと」というように、クラス相互の関連が密で独立性が低く、変更があった場合に大量の影響箇所を修正しなくてはならないような設計をオブジェクト指向では

・モノフォリック

という。まあこれも状況によっては良し悪しで、独立性の高い実装をするというのはそうでないのに比べて2倍以上手間暇がかかる場合があるのである。例えば一度実装したら二度と変更しそうもない部分に対して独立性の高い設計を考えても効率が悪いだけである。変更の発生しやすい部分にこそ「独立性」を考慮した設計方針を導入するのがセオリーである。で、実際どんな箇所が変更が変更が発生しやすいのかといえば、プログラムの世界では

・ユーザインタフェース
・外部システムアクセス部分

ということになっている(これもセオリー)。

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2)TRPGの場合
 さて、TRPGの場合であるが、TRPGではPCがシナリオ作成段階ではまったく決まっていないというシステム製作者から言わせてもらうととんでもない仕様抜けが、「普通のこと」として存在する(笑)。そしてオフラインセッションで多くの場合、その場で突然作成されたキャラクターに対応しなくてはならないということが往々にしてある。とんでもないことだ(笑)。

 で、そんなときの「インタフェース」である。インタフェースを明確にし「そのキャラクターはゲーム的にはこういう風に取り扱います」というのをはっきりさせ独立性を高める。オブジェクト指向シナリオ(2)(3)で例えば

・オープニングなどインタフェースのみ明確にしてPLが考えればいいのだ

と書いたが、ここでモノフォリックにオープニングの内容までGMが立ち入って事前に考えたとしよう。「これこれこういう舞台でこういう人物が登場しこういう話がされて結果はこうなる」とか決めたとするとだね、

・これこれこういう舞台
 →PCの設定次第で「そんなところにいるなんてありえない」という事態が発生し得る。
 →シナリオ中で各所で作った「そんなそんなところ」に関わるすべての場面の設定が書き換わることになる
・こういう人物
 →「そんな人物と知り合いなんてありえない」という事態が容易に発生し得る
 →シナリオ中で各所で作った「そんな人物」に関わるすべての場面の設定が書き換わることになる
・こういう話
 →「そんな話をするわけがない」という事態が容易に発生し得る
 →シナリオ中で各所で作った「そんな話」に関わるすべての場面の設定が書き換わることになる
・結果はこうなる
 →「そんな結果になるわけがない」という事態が容易に発生し得る
 →シナリオ中で各所で作った「そんな結果」に関わるすべての場面の設定が書き換わることになる

…という感じにPCの設定しだいで内容が変わってしまい(それはシナリオ全体に影響し)、事前にそれらを考えておいた努力は無駄になってしまうわけだ。ところが上記のようにオープニングの中身はPLが考えるということにしてしまえば、上で書いたPCの設定次第で変更される内容についてはPLのやるべきこととして局所化され、GM側は何も意識しなくても良くなる。せいぜいハンドアウトで「オープニングでこういうNPCを登場させます。そのNPCへの感情&人間関係はこういう風に設定しておいてください」という程度の“縛り”をハンドアウトという形で入れることによって「こういう人物とこういう話をする」というくらいの内容はシナリオの思惑通りに指定が出来る。そして、TRPGの「ゲーム」において今のところゲーム要素として重要であると認知されているのは

★「情報」
 →「こういう話をする」に含まれる
 →情報によってPC/NPCの振る舞いが変わるため、ゲーム的に極めて重要
★「人間関係」
 →「こういう人と会って(知り合いになって)」に含まれる
 →人間関係によってPC/NPCの振る舞いが変わるため、ゲーム的に極めて重要

の2つの要素であるので、これらをあらかじめインタフェースで指定しておくことはセッションをコントロールする上で重要である。で、あらかじめ決めておけばそれらに対する設定も細部までシナリオ全体に渡って設定しても無駄な作業にならないわけだ。逆に言うと、これらの要素以外はPLによってどう書き換えられてもほとんどセッションの進行には問題がない。だったらPLの好きに決めさせればいいのだ。

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3)TRPGでは変更は日常茶飯事である
 そして、TRPGのセッションというのは変更の嵐といっていい。PC/PLがシナリオで想定した設定なり展開を逸脱するなんてのはすぐに起きることである。そこをどうアドリブでフォローしていくかがTRPGの面白みであり、もっとも大変なところでもあるのだが、そういう大変な部分こそGM一人に負荷をかけるよりも各人に分担させた方がGMの負担が楽になるし、各人も楽しめる。そしてそういった日常茶飯事的に発生する変更を各人の分担に任せ、影響範囲を局所化するためにインタフェースをきっちり決めて変更に強いシステム構造を作ることを全体として「オブジェクト指向設計」と言うのである。

 TRPGのように不測の事態がリアルタイムに頻発し、アドリブで対処しなくてはならないというシステムにこそ「オブジェクト指向」は向いている。

 以上で「オブジェクト指向シナリオ」の解説を終わる。
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by namizusi | 2005-01-02 21:52 | TRPG

オブジェクト指向シナリオ(5)最終回


 第5回である。(1)~(4)を予習しておくこと(特に(4))。オブジェクト指向シナリオ論は今回で最終回とする。

 さて、今回はシナリオに登場させるキャラクターに、オブジェクト指向の継承関係の概念を入れて分類したことによって見えてくる効果について解説する。

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1)「ルールで規定するキャラクター」以前に「人間クラス」が存在するということ
 これの意味することは、TRPGではルール以前に、人間であるPCをシミュレートしようという要素が多分にあるため、常に、ルールでは表現しきれていない潜在的な要素(属性・振る舞い)が存在するということである。そして、そういった要素もゲームとして遊ぼうという主旨がTRPGの、他の凡庸なゲームには存在しない独創的かつ面白い部分である(これは必須事項ではないが)。この辺の話は以前書いた「顕在設定」「潜在設定」の話と同じ話になる。ちなみに上位のクラスの属性・振る舞いが仮想的にそのクラスを継承したクラスにも適用されることをオブジェクト思考では

・継承

と言い、そうやって継承される属性や振る舞いを

・仮想フィールド
・仮想メソッド

と呼ぶ。

 ちなみに、個人的な意見を言わせてもらうなら、この辺の要素も遊ぶ気でないならTRPG以外にきちんとバランスが取られて良く出来たゲームなどいくらでもあるのでそちらをプレイされるようにして欲しいものだ、と思う。その方が問題なく楽しめるしね。

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2)ゲーム的には常に「インタフェース」というフィルターを介してキャラクターというものが見られるということ
 オブジェクト指向シナリオでは、例えばPLがPCに対してどんな設定を考えようとも、それがルール的インタフェース(「ルール上のキャラクター」クラス)、もしくはシナリオで想定する物語的立ち位置のインタフェース(「ハンドアウト」クラス)を介してしか対処されない。要するにTRPGをゲーム的に遊ぼうと考える場合、インタフェースに現れてこない要素はすべて「無意味」なのである。またGMは常にそれらのインタフェースを介してPCの挙動などを解釈することでシナリオの独立性を保つことが出来るのである。

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3)インタフェースの必要性
 で、オールドゲーマーの場合、よくこういった物語的位置づけもゲーム的に遊ぶためにハンドアウトというインタフェースを公開するやり方を嫌う人が多いように思うが、そもそも「人間」というものをシミュレートすることを目指し、それをゲーム的に遊ぶために「システム」というインタフェースを入れるのはOKにしたのに、物語的要素もゲーム的に遊ぶために「ハンドアウト」というインタフェースを入れることに抵抗を示すというのは実に不合理的な感情的反応であると言っていい。彼らはタコだw。

 むしろ、オブジェクト指向シナリオ的に、

・可能な限りどんなPCにも対応し
・各PC個別のアクションはPLの独創性に任せ全体のゲームが破綻しない範囲で「自由に」プレイできるようにする

ためには「ハンドアウト」のようなインタフェースは「必須」である。「ハンドアウト」によってPCの行動が制限されるというのは勘違いも甚だしい。むしろ他者とアクセスする部分を明確にすることで、それ以外の部分をいくらでも自由にプレイできるようになり、かつどの部分をどこまで自由にプレイして良いかが明確になるのである。

 TRPGが自由であるなんていうのは幻想に過ぎないが、ある区切られた大枠の進行を阻害しない範囲での「自由」は十分可能である。そしてそういう「区切られた外枠の範囲」を明確にしてくれるのが「インタフェース」なのである。

 以上でオブジェクト指向シナリオ論は終わる。

 オブジェクト指向シナリオというのはTRPGのすべてのプレイスタイルを網羅するシナリオではなく、「群像人間関係シナリオ」のような人間関係を主体とし、物語的要素も抽象化してゲーム的に遊ぼうというようなシナリオ/セッションに向いている(他にも向いているものはあるかもしれない)。ダンジョンに潜ってサバイバルするようなシナリオ/セッションには向いていない(しかしあれはTRPGではなくて、ただの戦闘級シミュレーションゲームにしか思えんのだがねw)。ということで、この方法論を利用する人はそういった適性を理解した上で使用すること。

 今後の論の展開としては「群像人間関係シナリオ分析パターン」の実装と、その辺から派生する論の解説などをぼちぼちしていくことにする。例えば「シーン」というのをオブジェクト指向的に抽象化するとどうなるか?というのは興味深い話題である。

 ではまた。
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by namizusi | 2005-01-02 16:14 | TRPG