2006年 07月 14日 ( 2 )

最大多数の最大幸福と平等論による「楽しさ」の総量:(・_・)

 さて、ここ

・(幸福リソースの総量が足りない場合は)不平等にした方が全体の幸福の度合いが高くなる

というのを証明してしまったので^^;、これを「TRPGの面白さ」に置き換えて整理してみようと思う。「TRPGの面白さ」というのは観点として無数にあるのでこれが絶対であると言うことはできないのだが、比較的普遍的即物的観点として

観点1)PCが生き残った方が幸福である
観点2)PCとヒロインがうまくくっつくと幸福である

というものがあげられると思う。(わかりやすさのため、目的を達せられたら幸福である、という観点は今回ははずしておく)さて、この基準に上記の論を当てはめるとこうなる

観点1-1)全体としての生存確率が低い場合、一部のPCが生き残り、一部のPCが死亡するという不平等を作り出した方が、全員生き延びるとか全員死亡するよりも楽しいセッションになる

観点1-2)全体としての生存確率が高い場合、全員生き延びる平等感で、より楽しいセッションになる

というわけで、以前のFEARゲー(最近は知らない)が全員生き延びるぬるいバランスになっていたのは「観点1-2」によるものであるということがわかる。「バランスがぬるい」のは平等にするための必然なのである。
一方、初期のD&Dとか深淵とかクトゥルフの場合はわりとPCが何人か死亡しても不思議でないバランスになっているので「観点1-1」が適用される。端的に言うとこの手のシステムは

・一部のPCが死亡し、一部のPCが命からがら生き延びた方が全体として楽しいセッションになる

ということが現代倫理学的に証明できてしまうのである。やれやれw。

 さて、次に観点2の方であるが、PCの生存がわりと十二分に満たされた状況でほかに競争原理を入れて面白さを出そうとするのであれば、例えば

・ヒロインとどのPCがくっつくか

という下世話な部分に面白さを持ってくることが可能である。CSTなんかがまさにそうですな。ここに競争原理を持ってくる場合は

・不平等にうまくい人と、うまくいかない人を作った方が、全体としての楽しさの総量は増える

ということになる。一方、恋愛要素の面白さを過剰に供給して平等論的な面白さを出そうとしたシステムとしは「エンゼルギア」なんかがまさにそれだと思う。しかし、いろんな点で実に画期的なシステムですな~。「エンゼルギア」。


そんな感じで。
んじゃ
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by namizusi | 2006-07-14 22:47 | TRPG

いろいろ観たり読んだり:(^_^)

逃亡2日目。

ローズ・イン・タイドランド
 観ました。うーむ。微妙。
 実にテリー=ギリアムらしい、ビューティフルでグロテスクなダークファンタジーでしたな。終盤の展開がとんとん拍子で進みすぎでちょっと物足りない感じでしたか。序盤のかったるい展開は「ああ~ほんとに低予算なんだな(涙)」とわかる作りで涙を誘われました。ジェフ=ブリッジスとヒロインががんばってましたけど。きびしい~。トム=ハンクスの「キャスト=アウェイ」の一人芝居的かったるさがありましたか。まあ、その分役者の力量が見えて面白かったのですけど。最初は「何なんだろこれ。だるいな」という感じだったのがだんだん演技に引き込まれていく感じがよかったですかね。

 あと、父親役のジェフ=ブリッジスは日本の田中国衛みたいに大仰なこてこての演技で割と好きなのですが、今回の役はちょっとかわいそすぎというかなんと言うか^^;

 そんな映画でしたな。

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ステイ
 隣でやってて面白そうだったのでこれも視聴。こっちのが僕好みかのう。

>精神的に不安定な青年の自殺予告を聞いた精神科医が、青年を救おうと必死になるうちに意識の迷宮にはまり込んでいく様を描いた新感覚スリラー。

ということで「シックスセンス」「アンブレイカブル」系の実は切ない話かなあと。話の仕掛けは割とべたべたにやってて精神科医と患者の青年の立ち位置を入れ替え表示する辺ですぐわかりました。

映像作品を作る際の鉄則で

・登場人物の立ち位置(通常は左右の位置)を絶対に入れ替えてはならない
 (視聴者が見ていて混乱するので)

という決まりがあります(実際の作品で検証してみましょう。プロの作品は普通は必ずそうなっています)。それをわかった上でわざと入れ替えています。なぜでしょう?

…というような映画でしたな。面白かった。
個人的解釈としては主人公の最後のたった1個のせりふを言わせるためだけに作られた構成かなあと思うわけですが。いいねえ~。


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・現代倫理学入門
 これは文庫本でちょっと見て面白そうだったので購入。実に勉強になる。
 倫理学というのは「道徳」「(社会的)規範」といった思想の基準や骨子を考えようという学問らしいのだが具体的に言うと「何を犯罪と規定するか?」「犯罪が起きたときにどのように刑罰を規定するとより多くのものが幸福になれるか」とかいうことを考えるらしい。

 昔の厳しい刑罰の仕方だと

・羊を1頭盗んだら見せしめのため絞首刑

とかいう今の感覚では過剰な刑罰の仕方だったのだが

・羊を1頭盗んだら懲役3ヶ月。これで十分羊泥棒の抑止はできるし、罪を犯した人も改心することで人生をやり直せて、絞首刑に比べて全体的な「幸福」の量は多くなる

というようなことを考える学問と言ったらいいですかね。

 で、現代の倫理学の3台骨子のひとつで

・最大多数の最大幸福
 …なるべく多くの人間が総量としてなるべく幸福になるのが「善」である、と規定する理論

というものがあるのですが、これはもうひとつの骨子の

・平等論
 …皆が平等であれば全体として幸福になるという理論

と矛盾してしまうケースがあるそうな。
まあ、そもそも「幸福の量」なんて具体的に測ることができないのだが、それに近い基準として要するに

「お金がたくさん儲かれば幸福である」

と考えることが可能である。で、「最大多数の最大幸福」に照らして「お金がたくさん儲かれば幸福である」ということはいったいどういうことなのか?というのを言い換えると、この「多数=国民全部」ということにすれば、要するに

・GNPが上がれば「最大多数の最大幸福」という論にかんがみて幸福である

と考えることができる。で、GNPがどういうときに上がるか?の1つのすでにわかっているケースとして

・共産主義は財産が平等であるが、競争力の欠如によりGNPが下がる
・資本主義は財産が不平等であるが、競争力の活性化によりGNPが上がる

ということがわかっている。だから、

・GNPが上がれば「最大多数の最大幸福」という論にかんがみて幸福である

を「善」とするのであれば

・財産が不平等になって経済格差が広がった方がより全体として幸福になる

ということになるわけである。まさに今の日本がそういう状況ですよな。(これが本当に良いか悪いかは別にして)

そこで、「いやいや、金の量なんかで人の幸福なんか測れない。そんなのは机上の空論に過ぎない」という人が現れると思うのだが、これを「生存確率」に置き換えるよっても同様の矛盾ケースを創出することができる。「金」というのは時代や状況や個人の価値観によって価値がまったく変わってしまうので「幸福の量」の基準としてははなはだ怪しいと思えるのだが

・生きていた方が死ぬよりも幸福である

という価値観については普遍的に異議を唱える人は少ないと思う。
で、例えば映画「レント」みたいに登場人物みんながエイズにかかっていて3日後に全員死んでしまうことにしよう。そこに、ちょうど1人分の処方量のエイズの特効薬が手に入ったとする。

・3日後に全員(例えば10人)死ぬ
・1人助かるだけの特効薬が手に入った

この状況で、

・1人が生き残る=幸福度1
・1人が死亡する=幸福度0

とする。平等論に則ると全員に均等に薬を分けることになる。そして全員が処方量が足りないので3日後に死亡する。

・平等論を適用した場合の全体の幸福量=0

ということになる。一方、不平等に誰か1人に薬を全部与えてその人は助かり、ほかの人が死亡した場合

・不平等に分配場合の全体の幸福量=1

ということで、

・不平等になった方がより全体として幸福になる

わけである。
で、じゃあ平等論によって人々がより幸福になるというのはどういう状況なのかというと、

・「幸福(富とか生存率とか)」を全員に必要最低限分配できるくらいに全体が豊かになった場合


ということらしい。



まあ、そんな感じで。
んじゃまた
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by namizusi | 2006-07-14 22:19 | ストーリーメディア